鍼灸を受けましたにっき - 2017年04月07日(金) 昨日は夜勤でした。 時間が今日になって夜勤の合い間に少し仮眠ができたのですが、そこから目覚めたときにとても気持ちがよくて。体が。 息を吸ったり吐いたり、それだけのことでとても体が気持ちよくて。 なんだ?すごいぞ!と思って。 そうして仕事をして2時間くらい経ったら、あ、あ、あ、肩が痛くなってきた、みたいな風になって、通常体に感じることの多い馴染みある感覚になりました。何が起きたのかよくわかりませんけど、素晴らしかったです。 それから、夜勤明けで自宅に帰ってきて眠った時に気づいたのですけど、寝る時のわたしの姿勢。 仰向けとか横向きとか以前に、おかしな寝方をしていることに気づきました。 自分の体を敷布団に突き刺すようにして寝ている。船の碇を引っかけるように、というのか。 それに気づいて、布団の面に沿って、布団の面にちゃんと支えられるように体を置いてみると、慣れてない感覚はするけど楽、力を入れなくて済む、みたいな感じになりました。 これは寝起き疲れてるわなー、寝返りもうちにくいよなー、と納得しました。 体が気持ちよいということと、先日の高層ビルの上に連れて行ってくれる人の夢とがわたしの中でリンクしました。 連れて行ってもらおうって決めたら、本当に連れて行ってもらえました。 その人が何かをしたということではなく、わたしの内面でそこに進めた、という感じです。 変な話、わたしには好かれることへの恐れみたいなものがあります。子供の頃、自分が好かれることと面倒なことが起きることとをセットで認識していたことがあったので、そういうのが出てくるのかもしれません。本当のところはわかりませんが。 で、ずうっとわたしの「行動」だったりとか、「知識」だったりとか、「持ち物」とかそういうものを見てもらおうとして、「わたし」を見られることは避けていたんですけど、それに腹をくくりました。 ちゃんと、人と人としてちゃんと向き合おうって。 自分の発生させているモクモクとした雲ではなくて、ちゃんと見ようって腹をくくりました。 しばらくはリハビリです。 思い返すと子供の頃はそうでもないのですが、いつからかわたしはこれをずっと避けてきてたし、そうならなくて済むような人と仲良くしようとしてることもあったんですよね。 それから、わたしが明け方に感じていた気持ちのよい体の感覚で思い出したのは、前にジャックさんのおっしゃっていた話です。 人のケアをする役割にいる人は相手の人を心地よくさせるから、クライエントに恋愛感情を持たれてしまうことがあるという例。そして残念なことになったお話とか。 実際は、自分自身の中にあるものを投影して相手に見ているに過ぎない、という内容。 わたしがひとりでは行けなかったところに行けた、というのはこれです。 わたしの今感じている心地の良い感覚は、「わたし自身が」創造しているもの、わたしが作り出し、わたしが感じているもの。 そう思えた。 そこに行けました。 「素晴らしい体の感覚を与えてくれる人のおかげ」と見てしまって、自分がその感覚を生み出していることは認識していない、自分の役割は見ていない、そういうところから少し脱しました。 何からそれを重ねたかというと、最近わたしは鍼灸師さんにケアをしていただいて、そしてわたしは体の感覚の変化を見ていて、ということをしているそのことです。 わたしの体の感覚というのはわたししか感じられないけれど、外側から鍼灸師さんも見てくれています。 だからこの感覚は両者で生み出しているものでもあって、ACIM的にはこれを奇跡というのかな、と思うし、わたしの体の感覚の変化からわたしの体の響き、人生を奏でる楽器としての体の響きが変化するかな、それはどんな感じのものなんだろうな、とも思っています。 自分ではわからないやつですね、これ。 これまで教えていただいてることを、自分の内側から「わかった!」って思うことがやっとこすっとこ出てきた、という感じです。 道のりが長いですが、確実に進んでいることはわかります。はい。 鍼灸を受けて、以前に比べると受けたその日の帰り道に「なにこれ!すっごい楽!」って感じる度合いは減っているのですけど、鍼灸を受ける日と受ける日との間に起きていることがおもしろいとか楽というのは今現在です。 いまだ、手足がかゆいです。涙は今でも意味不明ですが、あの時期だけのようです。 追記。 自分の日記を読み返していて、あー、、、と納得したのですけど。 「こんなに気分の良くない感覚を与えてくるのはあの人のせいだ」と見てしまうというのも、自分がその感覚を生み出していることは認識していない、自分の役割は見ていない、ということだなあと。 ACIMで最近ずっと、どちらかといえばこの「気分の良くないほう」をワークしてる感じですけど、あー、、、こういうふうにトレーニングの効果が表れる、全体として表れるのだなあ、と思いました。 ...
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