日記×エッセイ...みち

 

 

つらつら - 2017年04月02日(日)

今日の夢は、地震の夢でした。

夢の中でわたしは誰か(覚えてない)とともに自宅の床に座っていたのですけど、めまいみたいに頭の中がぐらって引っくり返るような地震が起きました。
ぐらっと引っくり返る感覚は今感じられるけど、それだから考えることができない、考えることをあきらめる、みたいな、そういう体感がある地震を夢の中で経験しました。
ぐらぐらと揺れるわけじゃなくて、ぐらあっぐにゃあって感じで、だから周りにある物とかも落ちたり倒れたりとかがありません。
怖いというよりも、「こんな地震、初めてだ」とまず最初に思ったのと、この揺れの反動が必ずあるな、もっと大きい地震がまた来る前兆かもしれないな、と思いました。
そう思ったときに、ふわっと怖さがやってきて、「その時わたしはどこにいたらいいんだろう?」「生きていられるためにはどこにいたらいいんだろう?」と思考が働き始めました。
が、結局どこが安全かわたしにはわからないのだから(安全と思っていたらそうではなかったとかあるし)、考えてもしょうがないし実際大丈夫じゃない?と思いました。


起きてから、夢辞典で「地震」を調べました。
突然の、大きな、日常の変化って感じ。
自分の夢の感覚を思い出すと、「これまでに経験したことはない」「怖さを選ばずに経験できる(選ぶこともできる)」というのがそこに付随する感じですかね。

何が起きるのかなーっていうよりは、もうね、なんかね、ある部分それは経験している感じがあります。

今朝起きて、細胞のひとつ一つがふるふると振動して動いているように感じました。
まだ体に痛みはあるのだけど、わあって動いている感覚がそれと同時にあって、動いている感覚はとても気持ちいいのだけど、試しにその動いている感覚と体の痛みとを一緒に意識して感じてみると、さらに気持ちがいいと感じました。
セルフでやっているので、すぐにそこから意識は離れてしまいますが、気持ちいいです。
この感覚に似ているのは、エネルギーを感じるワーク、重心をゆっくりと動かして重力を横切る感覚を感じる、そういうワークで感じられた感覚。手から出てくるように感じる、もぞもぞじわじわした感覚が手だけではなく、体のどこでも感じられる、そんな感じです。日中、普通に活動し始めるとわからなくなっちゃいますけど。

寝入りばなに、体の力がぐにゃーって抜けてアメーバーのようになってるのもおととい経験して。あ、こうやって眠るんだっけ?と思いました。今日は戻ってましたけど。



わたしは「受け手」として全うしたい、そういう視点があります。これ、言葉にするとしっくり来ていませんが、なんと言っていいか今のところわからない。
ジャックさんのところでボディワークを習っていて、自分が施術をするという経験をし、わたしも誰かの施術ができるようになってはいるわけですけど、やっぱり基本のところは「わたしは受け手として全うしたい」という感じがあります。

人にできるようになってるし、この施術がこんなに好きなのに、わたしはなんでやらないんだろう?って思って、若干自分を責めるような気持ちも出たりしましたけど、そうじゃないんだ、という気持ちも同時にありました。
受け手の役割が好きなんだよう〜。

なので、誰かにやってあげたいという欲求はわたしにはあまり出てきません。
なのに、やってあげたいという欲求があります。
言葉にすると矛盾していますけど、全然別のものに対して焦点が合っている感覚がそれぞれあって、「やってあげたい欲求」が「何を」やってあげたいのかが、まだわたしにはわかっていないという感じです。
やっとここまでわかった(笑)

ジャックさんに習いに行くまで、わたしはリラクゼーションサロンや整体などにお店に行くとき、「一方的に受けるもの」という感覚でいました。施術者にやってもらうもの、みたいな。
そういった、施術を受ける側の持つスタックがクラスに参加していくうちにどんどんほぐされていきました。

痛みがあって拒絶したり攻撃したりしやすくなる部分に、好奇心を持っていくその感じとか、「自分を一方的に直してもらう」のではなくて、そこに受け手の役割として一緒に参加するというのはどんな感じなのかとか、気負わない感じ、やり取りを楽しむ感じ、そういう感覚を経験をしてきました。

で、そうなってからお店に行ってみると、今度は施術する側のスタックがよく見えるようになりました。
その人がわるいのではないことも、よく見えます。
むしろ、施術者はそれができる人だったり勉強してきている人だったりするのがよくわかったりもします。なのにその機会がない。
迎えに行く、誘いかける、ナンパをする、それはわたしも結構難しく感じるので、そうだなあって思ったりもします。
でも、「もったいない」ともとても感じます。できるのに、それを望んでいるのに、できない、というのがもったいないと感じます。
ここの答えが知りたいです。


同時に、結局は「自分」なんだなあとも思いました。
わたしはこれをしたい。これが好きだ。
ただ正直にそれを選ぶ。
相手に押し付けることもなく、正直に、ただ選んだり、選ばなかったりをする。
そうすると、たまーに気づく人もいる。あれ?って。
誰かの反応だったりとかはある部分では関係ないんだ。賛同されるされないとか、そういうことではない。でも、賛同されるとすごく力になるなあって思いました。

あ!
わたしのしたいこと、「賛同」なのかもしれない。

もう一声かな?

・・・

と、思っていたら、すうっとある思考が表れて、それはすぐに忘れてしまったのだけど、地震の夢じゃないけどすべてが本当に引っくり返ったように感じました。
逆だ、と。
そうなんだけど、そうじゃない、という感じ。
それでいいんだけど、それじゃない、という感じ。
その思考はこうして書こうとしてるうちにすぐに忘れてしまったので、感覚だけが残っていて、、、

そうしてしばらく過ごしていたら、わかったこと。
「やろうとしない」もそうだし、「機会がない」もそうだし、それらを信じる、そのこと自体が間違っているということ。

ああ、その通り。間違ってたわー。こりゃあかんわー。
軌道修正しまーす。

それから、以前も見たことあるクトゥルフTRPG動画【APヘタリア】菊とアーサーで「カリプソの島」6【ゆっくりクトゥルフ】をもう一回見て、どうでもいいことを気づいたのだけど、夢の地震の感覚と、SANチェック時の描写とがとても似ている・・・。

そしてこれらの描写が素敵で。↓

「不安なら、心細いなら、迷いがあるならーーー、一番大切なものに手を伸ばしなさい」
ゆったりと誰かの落ち着いた声が、菊の鼓膜の内側で静かに反響していた。
その幻聴に素直に従い、菊は何かに向かって手を伸ばす。
戻れなくなってもかまわない。この暗闇の先にある、自分にとって一番大切なものを見失ってしまうくらいなら。



ネタばれありなので、読まれる場合は反転してください。↓

最初は何も知らずに同じ一日を繰り返させられていた。
やがて同じ一日をループしているという事実にたどりついた。
そしてそこからは、その事実を知ってなお、何度も何度も自ら繰り返すことを望み続け・・・
「菊はどうせこの島から去ることを選ぶ。」そんな諦めがアーサーの中にあるというなら、自分がそれを覆して見せよう。
そう心に決めたのだ。



案の定、ACIMとつなげてしまうおいらです。
多分またそのうち見ます。この動画。


...




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