日記×エッセイ...みち

 

 

ACIM Lesson82 (Lesson63と64の復習) - 2017年03月31日(金)

今日のACIMのワーク内容は赦し。

Lesson63 「この世界の光は、私の赦しを通してあらゆる心に平安をもたらす」
The light of the world bring peace to every mind through my forgiveness.

Lesson64 「私の役目を忘れないでおこう」
Let me not forget my function.

これらの復習の日です。

こういう内容なので、自分が赦す相手、対象となる人が必要です。

ぱっと思い浮かんだ人のことを考えていたのですが、わたしはその人を「鬱陶しい」と感じていました。
なんでそう感じるのかな?どういうところに鬱陶しさを感じるのかな?と自分に問うていったら、気づいたことがあって、
「お母さんにそっくりじゃん!」
という。
その人、男の人なんだけど、お母さん・・・と思って、個人的には無性におもしろくなりました。

母と同じようなところにその人の良さを感じて、母と同じようなところに鬱陶しさを感じていました。

さらに。
「幼稚園の頃に嫌だったあの状態も、同じような感覚をしてるじゃん!」
と、そのパターンにはなかなかの歴史があることに気づきました。

幼稚園児の頃も、その相手の子が嫌いなわけではなかったのですが、同じ現象が起きていました。相手の人が違うのに同じ現象を繰り返す。

同じ現象。
わたしの感情・感覚としても同じなのですが、驚いたのは、わたしの相手となったその3人の方たちの表現する行動がそれぞれ同じような振る舞いをしてたということです・・・。
なので、それに気づいたとき、なんじゃこりゃーと思いました。

同時に、
「わたしがどう振舞うことがそういう現象を成り立たせているんだろう?」
という疑問が出ました。

ダンスはお互い息を合わせて踊る、みたいな感じですよね。ずうっと成り立つということは、息が合っているわけですよねえ。

疑問自体がちゃんと出たら、わたし的にはそれで終わりです。そのあとは考えません。OK!みたいな感じになります。
今回の疑問に関しての答えはまだわかっていませんが、今回ひとつわかったのは、興味を惹かれない、という土台があるとわたしのダンスがいつまでも成り立つということですね。
本当、好奇心って大事だ。

幼稚園児のわたしは、〇〇ちゃんと一緒に遊びたいのに□□くんと二人で遊ぶようにさせられて遊ばせてもらえない、と思いました。
(わたしは□□くんに好かれていたので、多分良かれと思ったのか、恋愛ごっこみたいなのが良くてそうしてたのか、先生がそういう状況にしちゃうことが多かったのでした)
でもそれがわたしには、□□くんと遊ぶことに興味が惹かれない、という土台になりました。

今の場合は、興味を惹かれない土台が母の頃とまるきり同じで、今を見ていったら「ああ!そういうことか!」って感じで、母の頃の葛藤もわたしはよくわかっていなかったので(わかっていないこともわかってなかったので)、それも共にすっきり!みたいな感覚になりました。

ACIMのワークってすごいなって本当に思います。
わたしは持続するって類のことは良くも悪くも得意なので、ずっと持続して行っているACIMから得られることの価値がありがたいほどに感じられます。

皆、モクモクした雲でした。避ければいい、それだけでした。

最近、身についたのがそれです。
モクモクした雲の取り扱い。

モクモクした雲が出てきたら、これまでわたしははそれを、じいっと、ずうっと見てた感じでした。そして煙にまかれる(笑)
今は、あ、モクモクしてる、ってなったら団扇で仰ぐとかして、煙をよけて、煙の奥へ行くために通る、みたいな感じのことができるようになってきました。(以前比) 行動としてモクモクするものを回避するというよりも、心理的な動きとしてモクモクが出てきたら手で払ってよける、そういうことができるようになってきました。
別に、ずうっと煙を吸っていることはないのよね。

今日は鍼灸の日だったのですけど、やっぱりそうだなあって感じがしました。
やっぱりそうっていうのは、自分のセンシティブさにわたし自身が価値を置いていた、正しさを置いていたんだなあって。それが過剰だったとしても。
モクモクに気づける、そのモクモクの中で見ることができる、そういうものにたいする価値。

それがあったから、体を疲れさせていたのかもね。体が疲れる時点で何か間違っていることがわかりますが、逆に、「見てないからだ」「まだちゃんと見てないからだ」ってやってたんですよね。
見るのそこじゃない、というオチであります!

疲れると、アップダウンが激しいというか、好きなものにも嫌なものにも気づきやすくなる感じがありますけど、それってむしろ鈍感ですよね。
アップダウンのない、穏やかな場所で、気づける。そういう繊細さのがいいな。


今通っている治療院は、目に留まったから、行きやすいから、そういう理由でパッと決めたんですけど、そういうの直観的なのって大事だなーって思いました。
体が楽だ。気持ちも楽だ。
ほとんど会話らしい会話をしていない中で、絶対この人おもしろいぞ、とある時から確信を持っていたのですが、鍼灸師さんが人としておもしろいです。
自分の住んでる地域の鍼灸師さんからマインドフルネスって言葉を聞けると思わなかったのですが、施術や発言に押しつけがましさ、一方的な感覚を感じたことがなかったので、腑に落ちるってのはこういうことかなと思いました。


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