日記×エッセイ...みち

 

 

「流動体について」について。その3 - 2017年03月05日(日)

わたしがこの曲から感じられるものをつらつらと書いてみます。
お手元にCDの歌詞カードを用意して、合わせてお読みいただけることをお勧めします。


今回は、前半の水色表記の歌詞の部分について思うこと。



●「羽田沖」から「しばし窓の外を見る」までの部分

目に見える光景。旅から戻ってきたという実感。いったん外に出て、戻ってきた。そういう人物の視点。
近所のスーパーに買い物に行って戻ってきた、というものとの感覚の違い。スーパーに行くことであってもやろうと思えばできるのかもしれないけども。
過去の自分が見たものと同じ場所のものを見ているけれど、見え方が変わっている。そしてそれを認識できている。ここではそんな感じを受けます。



●「もしも〜?」

この問いはこの曲にもう一度出てくるけれど、歌詞カードにはここの「もしも〜?」だけが違う風に書かれています。
単にデザイン?
わたしは深読みして、ここの一文だけ、他の部分とはまったく質の違ったものだったりして?と、チラッと思って放っておいています。

「もしも 間違いに気がつくことがなかったのなら?」
今はもう、間違いに気づいたときから時が経っていて、それを振り返っている、というときに使う言葉。今はその間違いの中にいないときに使う言葉。
そしてそれが、明るいメロディーと共に。
今現在、物語の主人公の心が満たされていることがわかります。



●「並行する世界の」から「隅まで見てみるけど」までの部分

もしこうしていたら? あの時あのままだったら?
たくさんの考えられる人生のパターン。
地図を開いてみてもよくわからない、って続くのかな。



●「神の手の中に」から「良いことを決意するくらい」までの部分

「神」。いろんな神の定義があると思うのですけれど、わたしが用いているものを前提として示しますと、

1、罰を与えない
2、災害や、病気や、死とは全く別のところにある
3、パワーがある
4、愛そのもの

こんな感じです。もちろんこれらを信じられない時もありますが、それはわたしの勝手でやってる、という感じでいます。
「神様を信じる強さを僕に」ってやつですね。まだまだ弱っちいものでたくさん助けが必要です。

と、前提を説明したところで、歌詞の方に話を戻します。
先に説明した通り、わたしの中で意味する神さまは「いい存在」なんですけど、わたしの思考が望む通りにしてくれるというわけではありません。なので、個人的には葛藤したり怒ったりとかするわけですが。
で、信じてもいい善きものだけど、自分の都合にいいようにしてくれるわけでもない、そういう神の手の中に自分があるのだったら、自分にとって本当によい方向に導いてくれる、それを信頼して、「よいこと」を決意していく、できることはそのくらいしかないよ。みたいな感じです。
ここは、人によって神さまの意味が異なると思うので、いろんな感覚の違いが出てくる部分だろうなあと思っています。

自分にできること。
人間である自分に唯一できること。
「そのくらいしかできることはない」と言ってるけど、でもそれは「たいしたことじゃないこと」という意味ではなくて、むしろ逆にとても力のあること。自分ひとりだけに影響がとどまるものではない、それってとても力があるということ。
そういうことを、この物語の主人公はこれまでしてきている、ということ。



●「雨上がり」から「感情が振り子振る」までの部分

「日曜の夜は静か」の「か」の発音を練習したくなるところですね。
ここでは実際に足を踏み入れている、というシーンですね。
その中に実際に身を置いたことで感じられる感情や、感情からくる体の感覚を感じている部分ですね。想像ではなく、実際にそこにいる、ということから感じられているもの。
自分が久々に見るように感じてる風景の中で、感覚している時間。

「君」とどのように過ごしていたのか、「君」は主人公にとってどんな人物だったのか、どんな関係性を作っていたのか、旅立つときにどんなふうにお別れをしたのか、などによっていろいろ違うと思うのですけど、どうあってもいろんな感情がそこでは感じられてるだろうなあと思います。



●2回目の「もしも」から「不思議を問いかける」までの部分

今の自分とは別ルート。別の登場人物が出てくる物語。
今の自分と子どもたちとの関係性。それはとてもいいものなのだろうなあ、と感じさせます。
どんどん他の「並行する世界」に対する思いから離れていっている感じがします。それとも離れていっているのではなくて、包含しているのかな。執着みたいなものがどんどん薄れていっている、そんな感じがします。
歌詞の中でも「並行する世界」が出てくるのはここが最後なんですよね。

ほの甘いカルピスの味。そこにわたしはやさしさ、微笑み、柔らかさ、みたいなものを感じます。子どもたちと過ごしているときの感じが、このような甘くてどこか懐かしくほっとさせるような、そういうものと感じてるのかなと。
まるで子供を包み込むようなやさしさ。その感覚に自分自身も共に包まれている。
そのやさしい場所から、不思議を問いかける。人の知性ではわからない部分、わからなかった部分、それを問いかける、そんな感じでしょうか。



つづきます。


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