日記×エッセイ...みち

 

 

「流動体について」について。その2 - 2017年03月04日(土)

難しい歌詞。軽快な旋律。
わたしはそれが嫌いではない(むしろ好き)ですが、ネットを眺めていて思うのは、もうなにが正しいとかないんだなあ、と。
だから、わたしはわたしの「好き」をちゃんと言わないといけないなあ、持ったままでいないとだなあ、ととても感じることができています。
自分の好きなものは好きと。それを大切にしないとなあって思っています。
これをとてもありがたいと感じています。

というのは、そこをぶれさせると、自分を大切にしなくなったり自分自身に対しての価値もどっかにいってしまうって、それがはっきり見えたから。
残念ながらそういった、自分に対しての価値観を感じられなくするような心の動きをわたしはこれまでしてきていたので、だからこの曲に惹かれている、とも言えます。
立ち止まり、これまで辿ってきた自分の道のりがよく眺められるから。あ、見えるようになってる、って気づけるから。

言葉も音も美しく、音に関してはまったくわたしは詳しくないのでどういうものに美しさを感じているのか頭ではわかっていません。
(音に関しては、文章で説明されても感覚に入らず、難しい・・・と拒否されてる感じが自分にあります)

わたしは「美しいもの」に惹かれてこの曲が好きなんだなあ。難しさに惹かれている、ではないなあって。思考の遊びとかそういうものとして受け取っているわけではないんだなあって、感じています。
自分のこれまでの経験と重ねてみて、そして惹かれてるのかなって。
(本当はわかんないですけどね)

数年後、またこの曲を聴いたときには別の感覚を得るのかもしれません。わたしの経験が追加された分だけ。
子供の頃にテレビから聞こえて、なんとなく耳に入って聞いていた曲で、メロディーは覚えてる、そういう曲を大人になってカラオケで自分で歌ったりしたときに、その曲の言葉の美しさに気づく曲があります。そこで初めて、その曲を作った方、歌った方に注目する、なんてことあります。
だから、この曲も意味とかじゃなくて、旋律や言葉を音としてとか、なんとなく聞こえてればいいんだよなー、と思ってるところがあります。むしろそちらの方が、自分の経験が歌詞に加味される。

なのですが。
現時点のわたしは、詩から受ける意味の部分(わたしにとっての)を見ちゃったので、次回はそれを書こうと思います。

つづきます。



追記。↓

数年後、またこの曲を聴いたときには別の感覚を得るのかも、と先ほど書きましたけど。

まったく「年」単位じゃなかった!と気づきました。

ワクワクと「流動体について」のCDを買って初めて流して聴いたとき。
いいねーともう一度流して、2回目に聴いたとき。
TVを通して聴いたとき。
出演したTVやラジオに噛りついていたとき。
歌詞に意識が集中したとき。
そして今。

それぞれの今、それぞれのそのとき毎に、曲から受けているものがすでに異なっていたことに気づく。

おもろい。


...




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