日記×エッセイ...みち

 

 

「流動体について」について。その4 - 2017年03月06日(月)

後半ですー。



後半は、意識が一段切り替わって、上昇して心地よさ抜群!みたいなことが2回起きてる感じ。「意思は言葉を変え」の部分で。
1回目に一段ギアチェンジして、2回目もさらに上がるみたいな。

どちらもですけど、問いかけた後にこれが起きているなあと。不思議を問いかけ、現状を問いかけ。その後にギアチェンジ。

なにかの意思があって、「意思が言葉を変え」、それに同意したりあるいはしなかったり、そうしたことを通じて人と人の間にやりとりがあって、そうして都市全体が生き物のように変わっていく。

「躍動する流動体」の辺りは、わたしはもう心地いい!しかないですね。どんどん上がって上がって高まって昇華してく感じが。

「夜の芝生に舞い降りる時に」の辺りは、その昇華したものが夜露のように静かに降りていって、それをわたしは思考が静かになる感じと重ねていて、物語の中ではその静寂さの中で主人公が自分自身に問いかけている。
そこには、そこには体温を感じる近さの子どもたちの存在が自分の欠かせないものとしてあって、そこから現状を問いかけている。

それから2回目のギアチェンジがあって、また思考が静かになって。
その静寂さの中で、保証があるわけでも計画通りにやっていけるわけでもないような、無限の海の前に立つ。でもそれほど怖さはない。それは確かな約束が見えるから。心の中でもう確信がある、という感じ。
「それほどの怖さはない」っていいですよね。人間の言葉というか、経験者の言葉という感じで。その人がやってくれるわけじゃなくても、その人が一緒にいてくれるわけじゃなくても、それでも「添う」って感じがする。

(恐れるな、恐れるものはない、って言われて頭ではそうかって思ったとしても、感覚としては怖くなるのは、「添うてもらってない」と感じているのかもしれないな)

2回目の「神の手の中にあるのなら」。
言葉としては、ほぼ前半に出てきたときと同じフレーズだけど、受け取った感じとしては1回目の時は頭で考えていたというか、理詰めで「それはよいことだな」「そういうものだな」とか理解していたという感覚で、2回目の場合は、「もうそれしかない」「感覚としてそうだなってわかる」みたいな違いをもって、この物語を見ました。
なんでそういった違いに感じるのかな?と思ってみると、前半の歌詞の経験と、後半の歌詞の経験の違いからです。

だから、最後の「無限の海」の辺りも、先に出ていたのとは違ったものになっている感じ。
先に出てきたほうは「約束が見えるから」それほどの怖さはない、だったけど、ここに来ると、ただもう「宇宙の中でよいことを決意すること」自体が「怖さ」とは全く逆のものを自分に与えてくれる、それを信頼している感じに主人公がなっているなって。



歌詞の物語としてはそのように読みました。

でも、通しで、あまり何も考えずに聴くと、ぽん!と切り抜いたように気になって聞こえるフレーズがあって、それが楽しいです。
サビの「もしも間違いに気がつくことがなかったのなら?」は、聞き始めの頃にわたしを泣かせましたが、それに泣かなくなったら他のフレーズが気になったりとか、聴く時々で異なったりします。
情報が多い歌詞だからかもしれないですけど。

どこを見ても、とにかく気持ちがいいですねー。


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