日記×エッセイ...みち

 

 

幸せな日々。 - 2017年02月27日(月)

先週の火曜からずうーっと続いていた多幸感、そろそろ落ち着く?もう落ち着いてもいいよ?という本日月曜日。
ずうーっと幸せな感覚。今も幸せな感覚。ちと疲れてきましたよ。

この多幸感は小沢健二さんの影響・・・というか、「発端が小沢さん」という感じです。

先週は、
「すごい!」
「おもしろい!」
「たのしい!」
と、思ってばかりの一週間でした。テレビもラジオも新聞も、リアルタイムで追いかけました。

SNSのタイムラインで、小沢さんについて話してるいろいろな人の言葉を見てたのですが、いろんな人に「その通り!」と思い続けました。たくさんの人にそれを感じました。

共感度としては様々で、わたしが100%自覚があることについて書かれていて「そうそう!」って思うような方もいれば、わたしは20%くらいの自覚だったけど「言われてみればその通り」と思うようなことを書かれてる方もいれば、はたまた、なんとなくそういうことを感じていて、でもそれはわたしが個人的に感じていることだよな、と思っていた同じことを感じている方もいて、きゃー!って感じ。きゃー!って。

小沢さんが、というより(?)、それらが、きゃー!って感じでした。

そういやそうだよねと勝手に納得したのは、小沢さんは言葉の人で、ファンの方々も言葉の感度がいい人が多そうだよね、って。
同じ好きなものについて、そういう方々が書かれている言葉、それがもうね、わたしにはすごい威力でした。

なにに対しての威力かというと。

わたしは「発想がおもしろい」と言われることがあるのですが、それはうれしい時ももちろんありますが、そう言われるとなんか寂しい気持ちがする時もありました。
というのは、おもしろいことを言おうとしてとか考えてとかで言ってる場合はそう言われるとうれしいのですが、自分にとってふつうのこと、当たり前のこと、思いついて言ったことに対して「発想がおもしろい」と言われてしまうと、あれ?みんなはそう思わないの?って、なんとなく「離された」ように感じてしまったり。
今回振り返ったら、そういえばそういうところが子供の頃からあったぞと思いました。

どこか、そのままで言わないようにする、みたいな気を付け方をしているな、ということも気づきました。


ところがどっこいですよ。

実際は世間に溢れてた!
それが見えた!
わたしだけじゃないじゃん!って。こんなにいるんじゃん!って。それが目で形として見える、それがすごい勢いで幸福感をわたしに与え続けています。
なーんだ、これまでこんな思い込んでてばかみたい!こんなにたくさんなんだよ!って。

気分としては、グランドキャニオンにいるような気分。ああ、ちっぽけで素晴らしい!
自分の傲慢さを、清々しさの中で見られるっていい。


いやはや今、なんかすごい期間です。


売る気になって戻ってきた小沢さんを見てると、クラスでジャックさんが言ってた「市場に出す」ということを思い出します。
学んだものを市場に出す。
勉強したものを使ってお金を得るのかな?勉強したものを仕事をするということかな?みたいにわたしはその時に受け取っていたのですが、そうではあるでしょうけれど、それがメインではない、ってのがなんかわかる。いや、クラスで聞いていた時もそれはわかったのですが、、、なんだろう、今との違い。
やってる人を他の業種で見た、ということか。
これはなんと魅力的なのか・・・。
(そしてまた胸がいっぱいになるのですよ・・・)

それからそれをね、「テレビで見れてる」っていうのがわたしが、小沢さんすげえ!といちばん感じているところです。
日常とか俗とか、特別じゃない手触りのもの。


あとは、やっぱり歌詞とメロディーの組み合わせですね。
自分の選ぶ歌詞はああいう感じだけど、わたしのメロディーはもしかすると少し違うかもしれない。でも明るめの曲調で行きたい。そんなことも思ったり。

もちろん「もしも間違いに気がつくことがなかったのなら」という一節がすごい好きです。
間違いに気づいた、と過去のことになっているところ。
そして、気づいている、気づく、ということが大事なんだなって改めて思いました。それに付随していろいろ考えたり言ったりするけど、そうではなくて。


「神の手の中にあるのなら その時どきにできることは 宇宙の中で良いことを決意するくらい」

「無限の海は広く深く でもそれほどの怖さはない」

一曲の中によくぞこんなに。と思うのでした。


いろいろ真似したい・・・


...




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