日記×エッセイ...みち

 

 

今朝の「スッキリ」見ました。 - 2017年03月01日(水)

今朝の「スッキリ」を録画したものを、仕事から帰ってきて視聴。正座視聴。正座しなければ、ではなく、気づいたら正座してた。
こんなにちゃんと「テレビを見よう!」としてるのって、久々の感覚。10代とかにはあったけど。
もちろん今回も小沢健二氏を見るための録画です。つまりはまだ引き続き、幸せの中にいます。
(疲れてきた・・・と思ったせいか、少し落ち着きました。それとも幸せになじんできた?)

小沢さんが言った「インプットが好き」という言葉。
反射的に、え!と思いました。
そして、それを考えていなかった自分に驚きました。
そりゃあ歌詞からも音楽からもインプット好きな人じゃないとできないものってわかるでしょうに、、、ここにわたしはズレがあったままで小沢さんを見てたんだなあって思いました。


超好きな今日の小沢さんの発言は、「勉強はすごく続いています、今も続いていますし。人間って自分だけで出来るものじゃなくて、周りの影響で出来るじゃないですか。」
ティク・ナット・ハンの言葉を連想しました。花は花だけで出来ているんではなくて、土があって、太陽があって、空気があって、そうして花になるんだよ、というような。

ひとつひとつ、小沢さんが話す言葉を聞くだけで、わかることがある。
番組内で「今の自分には不安がない」って言ってたけど、ほんとそうだよな、ってわかる。小沢さんが自分自身をどういう存在だとみているかが、わかる。それから、「今」を生きている人だなあって、わかる。そして、わからないってことがわかってる人だって、わかる。

小沢さんの使う言葉のひとつひとつから、本当にそれを証明しているように感じられるというか、もし仮にそうでなかったらあんな風に言葉を使わないし、不安がもしあったなら別の言葉を使うだろうし、それに、本当に心からそう思っているから自分の言葉になってる、とわたしには感じました。
思想や思いを語るという感じではなく、自然な、他愛ない言葉のやりとりでそれを感じられる、、、というか、他愛ない言葉のやり取りだからこそ感じられたのかもしれないです。
それらのことに、わあ、この人すごい!って、わたしは感じています。なにがすごいって、「テレビ」で見られてるのがすごい。一般に、大衆が触れるところにある。それがすごい。

ああ、いいな。

いいな、っていうのは、「わたしも、いつも、そうでいたい、そうなりたい」っていう意味の、いいな、です。
本当にはわたしは心からそう思っていないなって、小沢さんの話しているのを聞いていて感じました。小沢さんの話している言葉のようなところに行こうとはしているのだけど。
小沢さんの言葉は、小沢さんの言葉になっている。

番組の中で「聞き手に恵まれてる」って小沢さんが言っていて。
それに対しても、すごいって思ったんですよね。
人に聞いてもらうことのありがたさだったり、素晴らしさだったり、人が聞こうとしてくれる、耳を傾けてくれる、それってすごーく素敵なことで、感謝で包まれることなわけだけど。
あー、小沢さんはその感謝を持っているんだなー、しかも小沢さんの曲だったり歌詞だったりの「恵まれてる」と感じさせるような聞き手って・・・すごくない?すごく大きくない?すごくたくさんいない?などと思ったりしたので、意識がちょっと宇宙に行ってしまいました。

先日の日記に、わたしにとってはメロディーは少し違うものになるかもしれない、と書きましたが、「流動体について」についてのお話で、小沢さんが「このテーマはもっとゆっくりで酒場で歌うような曲かもしれないけれど、それをアップテンポにした」というようなことを言っていて、ああ、それそれ!ってしっくりしました。
こういう感覚の重なりがちょっと楽しいです。同じものを見てるみたいだなあって感じられて。

小沢さんの今回の一連を追っているうちに、わたしは自分が見たいものがどういうものなのかがさらにわかってきました。
ありがたいものです。

おかげさまで、まだまだ幸せは続きそうです。

今朝の「スッキリ」で、加藤さんって話を聞くの上手だなあと知ったのと、それから日テレのイメージがわたしの中で上がりました。


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