日記×エッセイ...みち

 

 

ACIMワークブック学習期間中。 - 2017年01月23日(月)

コースのワークブックを現在トレーニング中です。
わたしは今回で3回目のトレーニングになります。

今回始めてから2週間くらい経ちました。そうして思ったんですが、まったくこれまでのワークとは別のものと感じます。
これ、毎回そう感じるのでしょうね。

1回目の頃は「こういう設定ということでやろう」というような感じでワークしていました、確か。
それまでの自分の信じているものとは全然別の価値観を本の中では言ってくるのだけど、別にこの本に書かれていることを信じる必要はないって書かれてるし、まあせっかくやるのでそういう「てい」ということでやりましょう、と受け入れていた感じ。

2回目の頃は1回目との違いを見ていました。2回目は最後まで終えたかどうかよく覚えていません。

1回目も2回目も、この考え方を覚えよう、自分に言い聞かせよう、みたいな感じでワークしていました。

そして今回3回目。
今のところですが、覚えようとか言い聞かせようとかそういうのが出てこないなと。
内容を覚えちゃったから、とかそういうことではなくて、「何を言いたいのかがわかる」という感覚で読めています。
「あ、このことについて言っているのか。このワークではこのことを認識できるようにしているのか。」という感じで、ひとつひとつに何を練習しているのかについて、ほうほうそういうことかと納得しながら進んでいる感じがあります。
1回目、2回目の時はなかった感覚ですね。

今回なんというか、自分に言い聞かせるということをしていない、ということに気づいて少し戸惑いました。
わたしは昔から自分に言い聞かせるという方法をよくとっていました。
だから、どうしてこの変化が出たのかしら、と思ったのでした。特にそうしないようにしようとか思ってもいないのに。

そう疑問を持ったところでひとつ思い浮かんだのは「共感」でした。

ほんの1時間前くらいに気づいたことがありました。
以前だったら、ある話の流れになったら「あ、それはね。。。」と口出しをしていた状況なのに、今は口出しをしたい欲求が出てこなくてスルーして、うんうん、わかるなあ、と心の中で思うのみ、と、自分の行動が変化していることに気づきました。
わたしはこの変化に対して、共感することのわたしの中での優先順位が高くなったのかな、と思いました。その感覚を感じているその人と一緒に、わたしもその時間を共有していたいな、というそういう感じ。

それを思い出したんです。

共感し、その感覚を感じている自分と一緒にその時間を共有していたい。

あれ? 変化は他者に向けてだけではなくて、自分に対しても起こっているのか・・・? と新たな疑問が出てきたので、ちょっと観察していたいと思います。


...




My追加

 

 

 

 

INDEX
past  will

MAIL