「この世界の片隅に」見てきました - 2016年12月24日(土) タイトルのままです。 クリスマスイブにレイトショーで「この世界の片隅に」を見てきました。 映画を見ている間、自分の中でいろいろと起きていたのですが、一回見ただけではわたしは消化できません。 映画から肌の感触というか、人がそこにいる体温みたいなのを感じました。 なんなのかな。どこでそれを感じるんだろうな。 かわいいなあ〜って登場人物のやり取りを見て、途中で大人な展開にドギマギとして、、、そしてその後ろには一緒に戦争が歩いていて。 情報がさらっと入ってくる様に、わたしはだんだんと何かに迫られているような感覚になっていきました。 情報に対して詳しい説明があるわけでもなく、情報に対して登場人物が感情的になるわけでもなく、ただ情報が入ってくる。その様に、息がしづらいような感覚になっていきました。 そして、そういった体感覚を経ていたにもかかわらず、映画の最後ではお腹がポカポカとして心地よくなっていました。 映画を見ていてわたしは特に涙が出るということはなかったのですが、エンドロールを眺めていた時に、「ああ、強いな」と思っていました。 ストーリーの最後のほうのシーンを見て、生きるってすごいって思って、それを持ちながらエンドロールを眺めていました。 で。 そんなに遠い過去ではない時間に日本に起きたことだよ、とふと思いました。 物事というよりも、心の経験として。 そして、同じ時代にいらっしゃる、それを認識して、ああ、強い、と思って、涙が出てきました。 これまで戦争のテーマの作品を見て、(一方的な)感情移入みたいなことはあっても、こういった、なんて言うんだろう、向こうに人がいてその人と近しい、親しい感覚になるということはなかったので、、、すごいなと思います。 (悲しいほど語彙が出ない) まあこんな感じのため、「あ、そういえば今日はクリスマスイブだった」みたいになったことは言うまでもありません。 わかりやすく楽しくて華やかでケーキを食べて、という感じではないなと。ある意味ではクリスマスにふさわしいとも言えるかもしれません。愛だなあって思うので。 映画の帰り道は、車を運転して帰ったのですが、目に見える風景がまるで映画を続けて見ているように見えました。 映画の中の風景に自分がいる、そういう感覚になっていました。 これを書いている今もその名残はあります。 もう一回見たらどんな感じなんだろうな。 12/25朝追記。↓ 朝起きても、まだ引き続き映画を消化中だなという感覚。 上記の日記を読み返していたら、じわっと涙が出てきました。なんだろう、この感じ。不思議な映画です。 映画から体温を感じるというのは、少しだけどういったことに反応しているかわかったかもしれません。 一方的に教えられるのでもなく、激しく訴えるのでもなく、心に柔らかく話しかけてくるあの感じ・・・ 12/25昼追記↓ 大きく驚かずに「ありゃあ〜」と受け入れてくれるというところも、感じていた体温なんだろうなとパンフレットを読んでいたら思いました。 すずさんの生きた時代の年表もよいです。この時には自分の父はいくつだったのかな、母はいくつだったのだな、と眺めました。 パンフレットには、映画でのいくつものシーンが見開きで載っているページがあるのですけれど、それぞれのシーンで感じた感覚というのが思い出されて、こんなに多彩だったのだなと改めて感じました。 空に放たれるカラフルな色に、絵を描く人としてすずさんが思うこととか。 黒に白の描線のシーンとか。 感覚を絵にするというのはこういうことなのかな、と思いました。 悲しいことを我慢して、このためだと我慢をして、なのにそれが報われない。それが怒りとして現れる。 すずさんが怒りを出すシーンでのセリフは、戦争というものをとても考えさせられました。あ、そう思うのか、ってはっとしたシーンでした。 12/25夜追記↓ 大きく驚かずに「ありゃあ〜」と受け入れてくれる。 これって、マインドフルネスじゃん・・・と思いました。 評価や判断とは無縁の形で注意を払うこと。 マインドフルネスには体温がある・・・考えたことなかったな・・・ ...
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