日記×エッセイ...みち

 

 

逃げ恥 - 2016年12月22日(木)

先日最終回でしたね。ドラマ「逃げるは恥だが役に立つ」を見てました。
もともと原作が好きなので見始めたのですけど、ストーリーは似た筋道なのにクローズアップするところがそれぞれ別のことについてという感じで、ドラマはドラマでおもしろくてとてもよかったです。
おもしろかったですよねー(同意を求める)
原作の楽しみ方とドラマでの楽しみ方がそれぞれ異なっていたのですけれど、それがどっちもおもしろいというね。いやあ最高。主役二人がかわいかった〜!

そんなわけで、最終回のてんこ盛りまでしっかり楽しませていただいて、満足満足!としていました。

で、twitterのTLに流れてくる逃げ恥関連のイラスト(逃げ絵)を眺めていました。
それわかるわー!よかったよねーかわいかったよねーびっくりよねー、みたいに。

そうしたら、突然ボロボロと涙が。
百合ちゃんと同じで、どうして涙が出てきたのかわからない類の涙。
突然すぎます。ただわたしはドラマの余韻を楽しんでいたんですけど・・・。

でも、この類の涙にはわたしはこれまで10年くらい前から何回も遭遇していました。
先日もジャックさんのクラスの時に遭遇したばかり。
で、これまでずうっと何に反応しているかわからなかった涙でした。


”私たちを縛るすべてのものから 目に見えない小さな痛みから いつの日か解き放たれて 時に泣いても 笑っていけますように”


ああ、これかあ・・・って腑に落ちた感じがしました。
ドラマの中でこの言葉があったので、そこが意識できて触れることができたように感じます。

何に涙したかというと、逃げ恥の周りにある穏やかなやさしさにわたしはやられました。わたしはその穏やかなやさしさが存在していることを信じていないところがあるんですよね。

原作でもドラマでも別に泣いてないのに、TLで泣かされるとは・・・です。

これまでの「自分がなんで泣いているかわからない」という出来事のすべてがこれじゃん、という。

自分が反応していたのは、その時に聞いた「話の内容」や「言葉の意味」などの、そういう切り取ったものじゃなかったんだなあ・・・と。


わたしは、この年末年始はマインドフルネスをもう少ししっかりわたしは勉強しなおすぞ!と思ったばかりで。
ボディワークを通してわたしがしたいのはマインドフルネスなので、もうちょっと自分のやりたいこと、提供したいことを明確にしようと思って勉強しなおそうと思ったんですね。
(ボディワーク用のサイトも用意する予定でいながら後回しにしていますが)

そうして、これまで積ん読していたティク・ナット・ハンの書籍を読み始めたのですけれど。

そこで、ひとつのことで切り離せないというお話がありました。レビューなどを見ると、ティク・ナット・ハンのお話ではよく出てくるお話のようです。
花を見る時に、太陽を切り離して花だけを見ることはできない、土と切り離して花だけを見ることはできない、水と切り離して花だけを見ることはできない、そういうお話。

それとTLで見たこととが相成って、わたしは少しだけ認識できたようです。

わたしはずうっと切り離して考えていたなあって。
切り離したものをいくつか組み合わせる、そういうものだと考えていたなあって。
これまでわたしは無意識のところでそう考えていたなあって。

コースでも何度も書かれてますが、そもそも切り離すことはできない、と言われていますね。

そしてわたし!何度も!それ!読んでる!んだけど!

やっと、ああ、こういうことかーって思いました。
その「切り離されていないもの」に触れられた時に、わたしは頭では意味の分からない涙がぼろぼろ出ていたんだなあって。
子供の頃を振り返ると、それはもともとではなくて。もともとは切り離していなかったなあ、生きてきたその途中でそういうアイディアを学んだんだよなあってわかります。


これまでを振り返って、お世話になってきた方々にありがたいと感じました。

先生という人はすごい・・・。忍耐力というか、待つ感じというか。
こんなの言葉で言われてもわからないもの。

すごい。


...




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