日記×エッセイ...みち

 

 

つらつら - 2016年11月29日(火)

ここのところ、息がしづらい感じがしていました。

職場で自分の担当している機械が連日調子が思わしくなく、その機械は他のものでフォローが利かないものなので、その故障は待っている方々に対して直に遅延を起こします。

調子が悪くなったことに対する対応(メーカー、顧客、機械自体、現場のほかのスタッフへの伝達)、今後の改善のための対応の相談と実施。
その機械を共に担当している部員はちょうど夜勤や休暇と重なっていたので、ある部分は一人で行うことになっていて、それもわたしにとって重かったのでしょう。

今年の11月はなんだか予定が次から次へと入ってくる感じで、メールや電話が来ることも多くて、わたしは基本的に自分のペースで物事ができないことが続くとしんどくなってくるところがあって、ついでに震度5の地震も来たしで、そういうことが全部混ぜ合わせて「息がしづらい」という状態になったかな、と。
簡単に言えば、「疲れた」と。



息が胸の上部まで入っていかない感じがあったので、寝る前にデコルテの部分に手を当てて、置いている手の感覚を体の内側から感じる、ということを数日していました。

手を当てただけで温かくなる、とわたしは思っていたところがありました。手の温かさが胸に伝わる、みたいな。実際そういう部分もありますよね。

でも、今回気づいたのは「手を体の内側から感じる」ということをした時の熱量の違いです。
ただ感覚を感じる、胸の内側から、置いてある手の感触を感じる。どんな感触なのかなって感じる。

呼吸と合わせて内側から触れるのはやりやすいのですが、今回は呼吸がしづらいということもあったから、そこを自分でがんばって呼吸をしようとはしたくなかったんですね。
というわけで意識してではありませんでしたが、それが「呼吸はそれほど使わずに、身体感覚意識だけで体の内側から触れてみる」経験につながりました。


意識をしただけで、体の内側から感覚しただけで、こんなに温かく(熱く)なるんだ!って、パズルのピースがピタッとハマった感じがしました。

これまで4年、ずうっとジャックさんが「意識を入れると温かくなるから、そこからその人がその体の部分に意識を持ってきてくれたんだなとわかるんだよ」と言うのを、何度も何度も何度も何度も・・・聞いていました。

わたしもそれをクラスで体験していて「そうだなあ」とは思っていました。
ですけれど、とはいっても呼吸を入れているしその身体運動で熱量が発生するのだろう、相手の手からの体温もあるだろうし、とも同時に思っていました。
「意識を入れることによって」と名前を付けることはできるかもしれないけど、本当はどうなんだろうなー、という感覚。


それが、「ああ、意識を入れるだけでいいんだ」と今日すっごく腑に落ちました。
なんだろう、このジャンプ。自分の学んだものと感覚とが一致した感じというか。


ジャンプしてからもう一度、「意識を入れて温かくなる」ということについて振り返りました。


「意識を入れる」ということに、わたしはオカルトっぽさを感じていたけど、意識を入れることで生じる身体活動がある、と筋膜についての情報がぴたりと符合しました。筋膜だけじゃないか、皮膚に関する情報も符合する感じです。
(わたしは4年間、一体何を聞いていたのか・・・)


4年か。
なかなか頑固さんです。これで土台を作り直したら安定感の保証があるな。


ちなみに、この息がしづらかったおかげ(?)で、日常で自分がどういうことに心を縮ませて、どういうことで心を穏やかにするのかに気づきやすかった面もあります。
自分が何を思い込んでいたか、何を信じていたか、何を間違っていたか。



今回気づいたこと。

1、心を縮めているときはプレゼンスではない。
わたしは過去に「あったときのこと」を思って胸を痛めたのですが、その時に岡本太郎さんの言葉を偶然見ました。


“永遠というのは時間を超えた瞬間なんだ

 だから愛に燃える瞬間が永遠で、

 その後につづこうがつづくまいが、どのようなかたちであろうと、

 消えてしまってもそれは別のことだよ。”


別のものを見ていたな、と気づいた言葉です。つづく、つづかないは関係がない。



2、自分が望むものは、自分がここちのよいあるものから離れないと手に入れられないと思っていたということ。
そのここちのよいものが、ここちのよくないもの(自分の望みを邪魔するように見えるもの)と一緒にあったりするので全然気づかずにいました。
自分がそれに対してここちいいと感じていたことすら、気づいていませんでした。(ヒントはあったのですけれど)



3、人を貶めることは誰にもできないということ。
人を貶めることは間違っていること、ではなくて、人を貶めることができるというアイディアが間違っていること。
そして、前者を信じている人がたくさんいるということ。



4、人は、自分が怖れと共に行いがちな行動に対して「正しい」と固執したがるのかもしれない、ということ。



これらを、某クトゥルフTRPG動画を見てて気づくというね。
何からでも学べるのだわ。


...




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