日記×エッセイ...みち

 

 

つらつら - 2016年11月27日(日)

数か前に職場でストレスチェックを行いました。
まだ結果は届いていませんが、どんな感じで結果が出てくるのかなあと思っているところです。

ストレスチェックのこと自体すっかり忘れていたのですが、同僚がストレスチェックのことを話題にしたので思い出しました。
同僚の弟さんの職場全体はストレスが多い結果になったけど忙しいわけではない、というお話で、人との関係性、自分自身との関係性は重要だなあと思いました。

そこで質問をされました。
もしストレスが高いって結果が出たら病院に行くかどうか、と。

この質問が出るってことは、行くことに関してなんらかの抵抗があるのだなと。

ちなみにわたしは行きます。
ストレス自体への対処というのもありますけど、まあ、というよりは、第一にわたし自身は精神科医にかかったことがこれまでないので、どんなことを話したりするのだろう?どんなふうに?などなど、そういう個人的な興味が強い。


そういう部分に関しては、あんまり「どう思われるか」みたいなことを気にしていないところがあります。
まあ、ずうっとわたしはそういったことについて学び続けてきているので、今更どう思われるもないです。
(思われるならもう思われてるでしょうし)

でも同僚と話をしていて、周りの目を気にしてしまって行くことができないとかもあるよなあ、と思いました。
仮に実際には周りはそう見ていないとしても、自分が設定してしまう「周りの目」というのはありますし。

受け取り方や見え方なんて、地域や国や文化によっても異なるわけだし、制限があっての価値観なんだなーと認識できれば、そういった価値観があるとしてもそれに対して怯えたりしなくていいのかなー、なんて思いました。

ということで、いろんな価値観に触れるというのは固定されなくていいなあと思います。

怯えることで、その価値観を強固にもするよなあとも思います。
今回の話だと、ストレスに対しての医学的対処を恐れることで、より「特別」にしてしまう、みたいな。

わたしの中である種のジョークみたいだなと感じてるのは、医療関係者だというところ。
精神的なことと体とを別なところに置くことはない。マインドと体。
そして、精神的なことも、体的なことも、恐れることは何もない。

まずは隗より始めよです。


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