日記×エッセイ...みち

 

 

セルフプレゼンシング日記 - 2016年10月26日(水)

数日前のこと。朝起きると気持ちが悪かった。

吐きたくなるわけではないけれど、気持ちが悪い。
起きてしばらくすると、体を動かすからかもしれないけどその気持ち悪さはなくなくなります。
でも明朝はまた気持ち悪い。それを繰り返していました。


ということで、朝起きた時と夜寝る前にお腹に手を置いてセルフプレゼンシングしてみました。
セルフプレゼンシングは、治すためにではない感じで行いました。
実際治したいなら、薬を飲むとわたしはすぐに治っちゃうほうなのですけど、薬を飲むと感覚がなくなっちゃうんですよね。それを「治す」というのかもしれませんが。
せっかく感覚が現れ出てきているのに感じることをできなくしちゃうわけなので、わたしとしては「もったいない」と思う感じです。
感覚することで得られるものを知ってしまったので。
体がしんどい時にも薬を飲まないというポリシーはありませんし、薬を飲んだら飲んだで体の感覚の変化を感じようとするのですけども。



お腹でセルフプレゼンシングをしたら、胃の上に置いた手のあるところがポカポカと温かい。

数日間それをしてみました。
でもあまり変化はなく、朝は同じように、気持ちが悪いなーと起きました。



で。
お腹に手を置いている日を続けていたからかわかりませんが、ふと、「あれ?お腹ではないんじゃない?」と思いました。
あれ?息がしづらい感じあるよね?と。



ということで、その発想が出た日の夜は胸の辺りに手を置いて、セルフプレゼンシングを行いました。
手を置いた胸の辺りがポカポカと温かく、それを手のほうと胸のほうとで感覚します。
しばらく感覚を味わっていたら、涙が出てきました。
セルフなのに涙!という自己ツッコミを頭のどこかで聞きながら、十分な時間手を置いて、それから眠りました。



その翌日の朝。
気持ち悪く感じませんでした。当たりを引いた気分でした。
胃じゃなかったんだなあ、呼吸ができていなくてそれで胃もそれに連動していた感じだったのかも、と思いました。



うまくいった!と思ったわたしはその日の夜も、まず初めに胸に手を置いてセルフプレゼンシングをしました。あ、胸だな、と思ってたので。

なのですが、またふと「あれ?首じゃない?」と思いました。
というのは、日中に「正直さ」について思うことがあったからでした。



わたしは人によっては自由にやっているように見られるし、それから物事を正直に言う方だと自分では思っていました。
でも、「正直に言えない、言ってはいけない」と思っていた自分にその日気づいたのでした。
自分ではとても意外で、そこから判断していることは正直に自分の思ったことを言っている状態のわたしとは真逆な判断をしていて、それにもびっくりしました。



前の日に友人と話していて、
「ジャックさんのところに行くと、施術をするとかクラスで話を聞くとかそういうことでというより、行っただけで、あの場所でみんなでお茶を飲んでたりするだけでもすごく楽になるのよね。」
ということをわたしは話していました。

それは、「うまく感覚できてなかったのは、胃じゃなくて胸だったんだな」って思った後のことだったので、胸の楽な感じとリンクして話が出たんだったと思うのですが。


日常を過ごしている時は、ジャックさんのクラスに出た時の「楽になった感覚」とは異なる、とわたしは思いました。

日常でわたしが何に反応しているのかはわからなくて、ジャックさんのところでわたしが何を感じているのかもわからなかったけど、違いがあるんだよ、とその時話していました。

日常では息がしづらいような苦しいような感じが出てくる。
それはわたしが何に反応してるものなんだろうな、と。わからんなあ、と。



「正直に言えない、言ってはいけない」
ジャックさんのクラスに行って、それを感じることはわたしは全くありません。

「正直に言えない、言ってはいけない」
わたしがその信念を使う時ってどんな時だろう、と思い、自分の感覚を探ってみました。
そうしたら、「自分の話を聞いてもらっている感覚がしない」時にそう感じてるなあ、と思いました。

「ただわたしの言い分を聞かれる機会があるかどうか」ということではなくて、傾聴という意味での話を聞いてもらっている感じ。
それが感じられていない時、わたしは反射的に「正直に言えない、言ってはいけない」と思うのだなあとわかりました。


それがわかったとたん思ったのは、

「別に相手がわたしに対して傾聴の態度でなくても正直に言っていいよなあ」

ということでした。

聞こうとしていない状態の人に自分の正直なものをそのまま相手に言わなくてもいいけど、自分の正直な感覚を自分自身に隠すことはないよ、と思いました。



ということがあったので、その日の夜は首に手を当てて感覚しました。腹、胸、ときて、首、と。
本当は人にやってもらった方が気持ちいいけど、自分で自分の胸から首、頭部のワークもしてあげました。

首の辺りのワークは涙が出ることはありませんでした。
ただ、こちらの感覚はすっごい気持ちよかったです。ずっとやってたい!みたいな感じで。

で、そのまま心地よく眠りました。



そして次の日。
わたしの話を聞こうとしていないな、と感じるような状況が起こりました。

でも、それが自分に影響しない感じも同時に感じられました。
この人は今傾聴をしていないな。以上。
これまでくっついてきていた「正直に言えない、言ってはならない」が出てきませんでした。



プレゼンシングソマティクスのわたしが好きなところのひとつは、こんな感じで体の感覚を感じることから日常の感覚も共に変わる、というところです。

今回わたしがおもしろかったのは、胃、胸、首、と順番にワークしていったけど、胃をワークしたから胸に気づき、胸でワークした後に出てきた発想があってそれが首のワークに導いて、それが日常の感覚にも影響して、というこの流れでした。

このおもしろさが伝わるだろうか。


...




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