恐れとチャクラワーク - 2016年10月16日(日) 人に怒りをぶつけられると、嫌だなあと感じます。 怒りは恐れからくるもの。 自分自身に恐れがあるとそれが不快なので、その不快なものを怒りとして他の人にあげようとするのだそうです。 しかーし。 そうなんだなーそういうことなんだなーと頭でわかったとしても、実際に自分に怒りをぶつけられると嫌だなあと感じます。 少なくとも、今のところわたしはそうですよ。 その人の恐れ自体に共鳴しないとしても、その人の「怒りをぶつける」様に対して不快感を感じる、ってそんな感覚がします。 で。 「怒りをぶつける」様に対して不快感を感じる、ということは、わたしもその不快さは自分自身の中に恐れがあってそれに反応する感じなの? (まあ、そうかもね) それも自分自身の恐れを見ていったりワークしていったりする感じなの? (えー、めんどうくさい) と、思いました。 ジャックさんの秋冬のクラスはまだ受けたいものがあるので、受講した時にでも質問しよう、と思いました。めんどうくさく感じない別の方法があるならそれを聞きたいなと。 (じゃないと、わたしはやらないと思うので) ですが、過去の録音を聞き返していたら、しっくりする答えが浮かびました。 それはチャクラのワークをしていた時の録音でした。 喉、胃、ハート、とそれぞれのチャクラと呼ばれるエネルギーセンターの部位に手を置いて、体の内側からと外側から感覚し、それに気づいている時間をとります。 そうしてからそれぞれのチャクラをつなげていくというワーク、その時の録音を聞いたのですが。 なるほどね、と思いました。 それぞれのチャクラを感覚して、 つなげて、 そしてハートから相手に関わる、 そうした時、相手が怒りとして表現している恐れ、それに対してのわたしの感覚が、何もしていない時に受け取る感覚とは別のもののような感じがしました。 どういう仕組みかは今のわたしには説明ができないけれど、感覚的に、そうだわ、と。 怒りの表現に対して脊髄反射しない感じがするなと。 脊髄反射をする自分と、しない自分。 何が違うのだろう。 チャクラが整った、とか、チャクラのエネルギーが高まった、とか、表現方法はあると思うのですが、言葉上はそうだと思うのですけど、それはどういうことなのか、もっと具体的にどう影響するものなのか知りたい、とわたしは思います。 人に説明するという場合に、自分の言葉になっていないと自分の言葉を自分で聞いて説得力ないなあなんて感じてしまってあまり好きではなくて、だからもっと理解したいなあと思います。 試してみたい事項です。 まずは、本当に怒りの表現に対しての感覚が変化するかどうか。 ...
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