お母さんと、子供の期待。 - 2007年03月13日(火) 「送電塔のミメイ」のナギさんと、それから木田恵子さんの本を読んだことがきっかけで考えたことです。 (注・ゲーム内容とはほとんど関係ありません) 木田さんの本を読むと、忘れていた過去のことをふうっと思い出します。 例えば、大きな声で怒鳴るように話している両親を見て、「ケンカはやめて!」と仲裁した幼いわたし。でも、両親は「ケンカじゃないよ、声が大きいだけだよ」と答えました。確かに地声が大きいのだけど。 そうなんだ…と引き下がったけれど、わたしは納得できていませんでした。 「2人が怒るように話している」ということが嫌だったんだなあと、今ならわかります。 言葉にできない嫌だなと感じた気持ちは、残りやすいのかもしれません。 全然そんなこと忘れていたので本当に、カウンセリングされているみたいだなあ、と思いました。 1。 5、6年前、わたしはこういう文章を書いています。 2。 去年の日記にこういう文章(↓)を書いています。 「何かをできないこととか、弱さとかを、これからできるできないに関わらず、かわいいと思うような感じで受けるんだよね…。 そういう弱い部分を認めてあげられないとか、あきらめられないとかいうふうに、年上の男性を見がちなんだよね…。 うーん。やっぱり「憧れ」なんだろうね。憧れていたいんだろう、多分。 」 3。 父が亡くなった頃の日記に、こんな文章(↓)を書いています。 「父が死んだ後で、母に期待をしていた自分、いざとなった時は自分の持つ理想の母親になってくれると期待していた自分、というのに気づいて、そしてやっと諦めることができました。もう母には期待をしません。そのままの母を見なければ、ね。江原さんが、期待は依存だと、今日おっしゃっていました。わたしはまだ親離れできてなかったのだなあと思いました。」 これらの全てが、わたしは自分の持っているらしい「頼りたいと思う気持ち」に繋がるなあと、現在客観的に見て、思いました。 母に対してはずうっと「いつかは頼れる母になってくれる」みたいな気持ちを持っていて、5、6年前にも自分のそういう気持ちに1度は気づいたのだけど、思い返すとその後もずうっと持ち続けていたようです。 そしてそれは「実際に、物や行動で頼る・頼らない」という話ではないように思います。 物質的な意味では頼らないし頼らなかったし、大体頼りたいと思わないから。(自分でやりたい) 気持ちなんだよなあ…。「気持ち」で母に頼りたいと思っていた…。頼れるという安心感が欲しかったんだなあ…。 幼い頃から話の聞き役をしていたからか、母に頼られているような気持ちはずっとあって。それと同時に「わたしが頼りたいのに」と思っていたのかもしれません。自覚はありませんでした。 父が亡くなってから、やっとそれを抜け出すことができたような気がします。やっとあきらめることができて、あきらめることで前に進めるようになるということも知りました。 今では「頼ってもらうこと」をベースにして考えられるようになっているし。 頼りたい頼りたいと思い続けて、気づけば母はばあさんになっていました。 もう相手はばあさんで、頼るよりも自分が支える側になるはずなのに、それに気づかないくらい思い続けていたんだなあと思って、わたしは自分にがっかりしたのが去年のことです。 「頼れない」と思いたくなかった。それはわたしの生命の危機だから。 でも木田さんの本を読んでいたら、もしもわたしが「頼れる」と思うお母さんの元にいたら、もしかするとわたしは自由がなかったり、支配されているように感じたりするのかもしれないなあと思うようになりました。 木田さんの仰る0歳人と2歳人(それを日記に書いたのがこちら)を比べてみると、子供を見れば親がわかるというのが理解できます。 子供に影響する行動を考えると、0歳人の子供と2歳人の子供、それぞれに影響した大人がそれぞれ同じような性格とは思えませんし、そして親と子は似たような傾向になりやすいんだなということも理解できます。 「送電塔のミメイ」のナギさんがお母さんとして素敵だなと思ったのは、頼れる母であり、自由を与える人でもあると感じたからです。 以下、ネタバレ含めて解釈です。↓ 閑話でハナちゃんは、「結果的に」仕事を怠けていました。 ナギさんの閑話を読むと、だんなさんが亡くなった時にこっそり母親の様子を見ているハナちゃんの存在に気づいていました。 だからハナちゃんが、ハナちゃん主役の閑話の時に怠けていた、その理由もわかっているようにわたしは思いました。 それを理解しようとせずに、「最近怠けてばっかり!」と自分視線からのみしか見えなくて責めるようなナギさんだったら、育つのは濃厚2歳人のハナちゃんかもしれません。 はたまたハナちゃんを濃厚0歳人にするようなナギさんだったら、「最近怠けていたんだから、働く」という言葉は出ないように思います。 ここで「怠けていた」という事実は事実として本人に伝えられることが、0歳人寄りのわたしとしてはとても見習いたく思うことです。 勉強になるっす。 ...
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