日記×エッセイ...みち

 

 

フリーゲーム「送電塔のミメイ」とうとう3周目日記。その3。 - 2007年03月08日(木)

今日が多分に「ミメイ」感想日記はラストです。
なぜなら、今度は一旦しばらく離れてから再プレイしたらどんなことを思うかしら?という興味があるのと、それからとうとう待ちに待ったPS2「雨格子の館」を手に入れたからです。明日からやるのだー。その前に図書館から借りてる本も読まねばー。その前に掃除も…って、ゲーム始められるかが不安になりますが、まあそのような感じです。

今までの分を全て読んでくださった方、ありがとうございます。お疲れ様です。「あー、同じー!」とか「わたしはこう思ったなあ」とか比べて読んでいただけたらうれしいです。

では、本日もネタバレ感想です。それでもOK!という方のみ反転してくださいませ。

(ここから↓)

振り返ると、1周目よりも2周目、2周目よりも3周目という風に、読むことに費やす時間が増えています。1周目が4時間程度。2周目で8時間くらい。3周目…12〜15時間くらいかけたかもしれない。
そして、じっくり読んだだけのものが返ってくるのがうれしかったです。


<三話>

3話から坂道を転がるように加速します。だからもう、無理だな、と思いながら読みました。客観的になんて読めなそうだ、と。

でも結局、“ああーっ!!”と叫んでしまうことになりました…。
夜刀の眼帯に叫びました。
徐々に徐々に、外されていく眼帯。

ナギさんの話に出てきた頃の夜刀は、片目で海の向こうを見ていました。
そして、山から降りるミメイを待っていた夜刀は、眼帯を取って両の目で見ていました。
送電塔の原っぱでは、両の目でミメイと話していました。
ミメイならば夜刀はまっすぐ見ることができるんだなあ…と思いました。
格子越しにミメイと指を重ねるシーンでも、もう眼帯なんてないんですよねー。きゃー。
そして、ラストシーン。これがまた…やられたー!という感じでした。
格子越しシーンもそうですが、ちゃんと、夜刀の左目から眼帯が消えていることを示すイラストなんですよねえ…。素晴らしいですねー。印象に残りやすいこういう場面で、あえて両目を描かないってところがニクい!


「私は、コゴリ鬼が嫌いだ。」
この辺りのセリフ一帯、きっと格子の中で自分に言い聞かせていた言葉でもあるように思いました。


<四話>

テツさんから鬼の話を聞く場面。
「そうだよ。あの鉄の塔の間に張り巡らされた、細い線のせいだ。」
ぎゃあーっ!
(この文章にも叫んでしまいました)
ここここ、このゲームのタイトルって思いきりネタバレじゃないの!?とテンパる始末です。「送電塔」のミメイ…。そう、送電塔があるからミメイは…。
ゲームのタイトルにすら感動しました。


「山に封じられたのは、未来を識る力を持った鬼だったんだ」
夜刀ってこの言葉を聞いている時、どんな気持ちだったんだろう…。


鬼との会話の場面。
「私はあの高い鉄の塔の上から、島中を見渡しているようだ。」
!!
…悲しいかな、3周目にして“!!”。
そうだ…読んだことある、この文章。さあて、これまでに何回読んだでしょう(苦笑)
繋げてきますねえ〜。


<五話>

そっか。コゴリ大量発生は格子越しに夜刀に会ってからか…。外に興味があるからコゴリが出るってことだ…。


1周目、2周目と、これまであれだけわんわん泣いていたのに、3周目は全く涙を流さずにこれまで来ました。
3周目に初めて泣いた場面は、ミメイが以前と同じ岐路に立って、同じ決断をするだろうけれど、同じような意識ではないところ。
「だが、もう悔みはしない。」という一行が出たとたん、ぐわーっと涙が込み上げてきました。


<終話>

杏子に空っぽの袋を貰った時も、泣けてしまいました。

今回も、これまではここで泣いた覚えがないなあ、と思うところで泣きました。
泣き所が1周目、2周目、3周目と異なっていたのがおもしろかったです。
内容を知っているから泣かなくなる、ということは理解しやすいのだけれど、内容を知っていろいろなことに思いが繋がるから泣けてしまうということがあり、それが1度や2度でないというのがね…すごいと思いました。
ただ1人の人間でさえ、感情っていろんなところに繋がるもんだなあとも思いました。


いやー。個人的にはすごーい満足度です。
そして、1回だけしか読まない方がもしもいらしたなら、それはわたしにとってみるととてももったいなく思います。
何も知らない状態で初めて読むことももちろん逃せないおもしろさ。けれど、2回目からが…これまたたまらない。
3時間読んで、ストーリーをなぞる。それはまだ楽しむための準備段階でしかないのかも。確かに1回だけでも充分おもしろいからなあ…。

考えたり謎解きとかがお好きな方には、ぜひ再読をお勧めします。



追記。

今朝、報道番組を見ていたら、「今の日本の子供は無気力」というデータが流れていました。確かに他国に比べて、無気力・無関心・冷めている感じ。
そして、いちばんそれを見ていてわたしが思ったことは、進行役の方の言葉に集約されていました。
「顔洗って、朝ごはんを食べて」気力を出してね、と子供に向かって言っていたのですけど。

これ、間違ってるなと思うんですよ。
子供に言っても、これ、意味なくない?
っていうか、子供に言っている時点で、「子供が原因」にしていないか、と疑ってしまいます。

わたしはこういうのって大人が原因だと思います。親はもちろん、その子の周りにいる大人。目に入る大人。

夢を見ることを、今って否定されやすいでしょ? しかも親の価値観での否定。
現実は現実で思ったように行くわけでもない上に、今は昔みたいに年功序列のような基盤がなくなっちゃっているし、がんばった分の見返りすらあやしかったりするし。

そして、夢を見るようなことだって、昔だったら現実がそううまくいかなくたって、今よりも許されていた部分があるような気がします。
そういうもんだろ、とか、しょうがないねえ〜、とか言われつつ、でも許されていたようなイメージ。

自分の見たい夢も否定され、現実も力が及ばなかったらそれも否定されて。
そりゃ無気力にもなるでしょうよ、と思います。誰だって、がっかりなんてしたくないもん。

そして子供をそうなるように仕向けている大人が、これまたそれを「無気力だ」とか責めるって…本当にわけがわからないです。
理不尽さにさらに無気力になるよねえ…。大人に振り回されて、気の毒で仕方がない気持ち…。

報道でそういう無気力データを出すのなら、大人に意識させる言葉も一緒に言わないとダメだと思います。
子供に向かって「困った」「無気力はいけない」と言ったって、気力を出す為のものは否定されるわけだし。その上、それを聞いた大人が「自分のせいではない」と自信を持つからさらに悪循環。そう思うから、こういうものを見るとわたしはとても居心地が悪いです。

それに比べて…。
昨日も思いましたが、「送電塔のミメイ」のナギさんは、とてもいい母親に思います。あー、ほっとする…。
っていうか、そういう物語を書ける作者さんに注目してしまいます。
お母さんにしたいです(笑)


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