日記×エッセイ...みち

 

 

フリーゲーム「送電塔のミメイ」2周目遊びました。その2。 - 2007年03月04日(日)

前回の続きです。読まれる方は、前回から読んでくださいね。
今回もこれまたネタバレ満載の為、プレイしていない方はごめんなさい。プレイした方のみ推奨です。
…といいますか、プレイしていない状態で読んだとしたら、なんのこっちゃらわからない部分も大半のような気がたいそういたします。どちらかといえば、興奮を皆と分かち合いたい的な文章ですので…。
だからこのページを読む前に、ぜひぜひこちらからDLしてゲーム本編を読んでいただける方が、わたし自身も本望でございます。

もうプレイ終えたからネタバレでもOKよ!という方は、どうぞ反転して読んでみてくださいね。
今回も長いので、その辺はご注意を。

(ここから↓)

<三話 山姥>

「八束、というその名は、どこかで聞いたような気がしていた。」
うおー。

「見ているこちらがぞっとするほど恐ろしい眼差しでコゴリを睨むこともあり、また、消えていくコゴリを憐れんでいるように見えるときもあった。」
うおー。

初っ端から感想というより、吠えているだけで申し訳ありません。どちらも2周目のヒットポイントでした。

「コゴリ鬼は自分が何なのかを知ってしまったら、消えていくしかないんです。」
きゃー、えらいこっちゃー。(2周目で慌てるわたし…)
そうか…、だからか。だから、夜刀の昔話を聞いたらミメイが…。そして杏子の書いた祓歌の入ったお守り袋の威力…。そして、徐々にはっきりしてきている夜刀の鬼の記憶…。それらの全てが繋がっていく…。

千本格子の前って…あー!!ミメイはそんな所にきていたのか…ひええええ。と、2周目に思う。
(気付くのが遅い)

ミメイのことをばあさんに、夜刀はどういう風に話していたのかなあと、1週目と思ったラブ♪な意味とは違った意味で思いました。

「おばあさんの手は、乾いているけれどあたたかかった。」
こういう細やかな視線の表現に、わたしはとても弱いです。実際に自分が触れたように感覚が浮かぶ表現の仕方。(そして、2周目ゆえまた泣く)

「まぶしいところでは、いろいろなものが見えた。けれど、恐ろしいものを見るよりも、そのまま動けなくなるほうが嫌だったから出てきた」
この気持ちはとてもわかるなあと思った部分でした。過去に自分が書いたこの文章の自分とも重なりました。
そういえばわたしも幼い頃、押入れの中って好きだったなあ。暗くて、押入れにしまってあるふわふわの布団に触れてじいっとしているのは、とても心地よかったということを思い出しました。(胎内の記憶に通じるのかな?)

誤りなく正しい未来識。それが見えることは、意味がないことなのか。
意味を持たせるも意味を失くすも、使い手次第だとわたしは思います。未来の結果が変わらなくとも、変えられるものはあるから。
それは、その変わらない未来に対して、自分がどう思い、どう行動するかということ。
例えば、わたしは人間なので確実にいつだかに死ぬ時が来る予定です。それは変わらない未来。人間以外の他の動物は、いちばんヒトに近いサルであっても自分の未来の死を思うことができないそうです。だから、人は誰でも未来識を持っているともいえます。だから、人間だから出来ることがあるんじゃないか?と思います。意味を持たせるならば。
そして、それは他のことに対しても思います。自分の未来は識れないというミメイ。識れない未来が、未来へのカギであるということ。

「私は、コゴリが嫌いだ。」と続くミメイの言葉に胸が痛みました。
鬼のコゴリに対する気持ちがそこに重なりました。

1周目では、おばあさんの持ってきた眼帯の意味もここではわかっていなかったなあ…と思いました。なんだろ?なんだろ?ととても思っていました。
そして、2周目でもおばあさんが静かに目を閉じるシーンでは、涙がぼったぼったでした。


<四話 夜刀>

三話の最後で、「おばあさんっ!おばあさん!」と追いすがる気持ちがたくさん出ていたので、話が変わるごとに地の文の主人公が変わることは、とても助かりました。とてもほっとしました。

ばあさんがいなくなった後、床から起き上がれるようになったミメイが泣くシーンがあるけれど、わたしはここで、「さあ!俺の胸で存分に泣け!」という展開でないところがとても好きです。
夜刀はやさしいなあ、ととてもこういう些細な部分で思えるのがうれしいです。

1周目、鬼の能力を知った時に、がーんとショックを受けました。これって…もしかして…ミメイは…と、わたしはここで初めて思ったのですね。
(これまた後、その時のわたしの推理が実際とは少し違うことがわかるストーリーなわけで…すごいですよねえ…)

今更ですが。
このゲームは頻繁に立ち絵の表情が変わるから、文だけからの情報ではなくて、表情を見て「あ、今嬉しそうだな」とか「ちょっと得意気そう」「表情に出さないように堪えているな…」とか確認しながら受け取れたことが楽しかったです。
初めは自分のペースで読みたいために、1ページ分を一気に表示させていましたが、次第にその表情の変化と共に読みたくなって、文字表示速度を最速にして、1クリックで表示される文章量は通常のままにすることにしました。
文字で隠れて後ろの絵が見えないのは残念だけれど、文字の隙間からちらりと見える表情の変化に、頭で補完したり、次の文に移る時の文字がなくなる瞬間に集中して今の表情を見ようとしたりして、それを楽しく感じながら遊びました。

「俺は、母を止める心残りにもなりはしなかったのだろうか。」
うわあ、そうか!と2周目のここで、ナギさんの話の夜刀につながりました。ハナちゃんは、ナギさんを止められる心残り…。
無駄がない…あざやかです。

夜刀目線の甚八さんを見ていると、甚八さんに自分と似ているところを感ずるわたしは自分の失敗の仕方がよくわかります。
そういうところに配慮できるようになりたいねえ…。気付かないんだよねえ…。

「そんなことをしてはいけないよ。あれは、家に明かりを灯すための塔なんだ。」
ぐるぐると回っているみたいに、今度はこの言葉が先ほどの現在の夜刀の思いとつながります。

「外に出たら、私は先のことが今よりももっと見えなくなってしまう。」
「それなら、俺が手を貸そう。」
ああ…。もうだめだ…。うー。 (T^T)

「今まで何も知らずに鬼を罵っていた自分が、何より許せない。」
このまま外に出て忘れるということは、許せないと思う自分にこれから「なる」ということ…。

「俺は、八束という。境野、八束。覚えておけ。」
…。うん、覚えていたね…。
そして、覚えておけと言ったのだ…。この名前を呼ばれる日が、また名乗れるようになる日でもあるということだね…。


<五話 凝り夢>

コゴリ。
人の念とはこういうものなんだろうと思います。フィクションにもかかわらず、この物語がわたしをこんなに揺さぶるのは、きっとそのベースとなるものが深く納得できるものであるからでしょう。
もともとが良い種類の思いだったとしても、閉じ込められたらコゴリとなって出て行くしかなくなる。
「出すな!皆が困るんだ!」と言われても、言われた本人も困ってしまうというもの…。出さないようにとすればするほど、思えば思うほど、念がこもって溢れてしまうから…。

夜刀と大量のコゴリ戦にて。
すごいなあ、コゴリって…。何を相手が気にやんでいるかって鋭く感知する受容体であるなあ。何かに利用できそう…なんて思ってしまいました。利用するにはミメイを閉じ込めたままでいなければいけないので、すぐに考えるのをやめました。

「自分はいつでも、自身の呪いを晴らすためだけに動いている」
物事を知れば知るほど、目を背けることができないことが増えるものです。
「何かをせずにはいられない」
うん…。
「ひとを救おうと思ったことなど、きっと一度もないのだ。」
うん。とてもわかる気がしました。
でも、それでも、辛いことが増えても、今、力が及ばずに辛いと思うことが辛くならないようになりたくて、わたしはもっともっと知りたいと思ってしまいます。
行くしかないのだなあ…、前へ。

1周目、五話の最初も訳がわからなかったなあ…。
「夜刀をし損じた」って何だろう…と思っていました。

記憶から消えるのはなぜだろうともこの頃思いました。
できそこないのコゴリ鬼でさえも皆の記憶に残っているのになと。宿主だけが覚えているって訳でもなさそうだし、と。
このことは、2周目で総の「ミメイさん、お気をつけて」というセリフを読んでから考えたことなのだけど、これが「聞こえた気がした」だけでなく本当に総が言っていた言葉だったなら、記憶が消えるのは、夜刀を討てなくてタイムリミットで姿が消えるからではなくて、コゴリ鬼らしさ(本能か?)が強まってミメイらしさが陰に隠れたからではないかなあと思いました。
ミメイらしさを取り戻した証が、杏子のお守り袋、そして総の言葉、そして後に繋がる皆の記憶なのかなと思いました。
記憶がなくなるのは、本当のミメイが別にいるからなんだろうなあ…。そして、「ミメイ」がミメイに伝えることができたことによって、皆の記憶として残ったんだろうなあ…。存在する人になったんだろうなあ…。

2周目では、なぜ今まではミメイはコゴリ鬼に見えなかったんだろうな、とも考えました。
それだけ純粋に会いたいという想いだったってことなのかな…。他の想いが入るほどに化け物になるようだし…。

お互いがずうっと忘れずに、お互いが「会いたい」と思い続けることでできたコゴリ鬼。
自由で、触れられるくらい近くにいる人がいて、光を存分に浴びることができる「ミメイ」。
そして、結界の奥の本人からの情報も得て、本人の思いも含んだ「ミメイ」であるから、夜刀を討てなかったんだろうなあ…。

すごいねえ。
クライマックスの夜刀とミメイが戦うシーンは、最初の頃のシーンと重なりました。最初の頃、コゴリ鬼は夜刀だったなあ…とか思ったり。

2周目もわんわん泣いていましたが、1周目に比べたら泣きませんでしたよ!(なぜか自慢げ)
頭でいろいろ整理して考えながらだったからと思います。でも、そうであっても、いろいろ整理して繋がってしまうからこそ、1周目とは全く違うシーンであっさり泣かされたりしました…。おおう。

背にミメイを負ぶってコゴリを討つというのは、夜刀にはかなり気持ち的にキツイことだろうな…。コゴリもミメイだもんな…。すごいよ、夜刀。

ミメイはばあさんの100歳、200歳年下か…。まだまだひよっこね。

そして。
とどめかと思うくらいキタのは、2回目の、約束の意味を知っていての金打。
もう、その高く響く音が自分の身体にも響いて聞こえてくるように感じて、打ちのめされるくらいに参りました…。
特に2周目…。わたしは、もう、なんか、ぬけがらに…。

さらに。
エピローグで「ミメイ」の生きていた証が見られることで、また泣いていたりして。

ちなみに。
ゲーム仕様として提示されてあるプレイ時間は3時間でありますが。
1周目は確か4時間くらいで読んだのですが。
わたしは文章を読むのは早い方だとは思うのですが。
2周目は…、泣きながらに加えて考察しながら、メモを取りながら、そして感情が収まるまで次の文章に進まなかったりとかしていたので、読むのに8時間くらいかかりました。
満足です…。

今度は自分の考察と比べながらまた読みたいなあ、なんて思っています。
まだ気付いてなかったり、考え方として違う見方もあるかもしれないとか、思ってしまうのです。
恐ろしいゲームです(笑)



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