歪腐
 僕は歪んだものや腐ったものが好きだ。歪んで腐ったものなら尚更で、生きてゐやうが、人間でなかろうか、文章だらうが、食物だらうが、何だらうと歪んで腐ったものを眺めて居ると何だか嬉しくなってくる。
 「だから、僕は貴方のしてゐる事が嫌いでは無い。」と誰かに云ってしまふと直ぐ顏を顰められてしまふが、だから僕はある特定の生き物達を好ましく思って觀察してゐる。

 先ず、詩を詠む連中が好きだ。腐って歪んだ文化をまるで違ふものであるかの樣に主張する連中が好きだ。腐って歪んだものだと認めずに美しく純粹なものとして謳い上げるからこそ、言葉に意味が出てくる。素直に其の歪みと腐臭を感じてしまったら目も當てられぬ。
 黴も好きだ。適度な濕度と氣温で生育された菌類は實に美しい姿を現すからだ。
 斜視や歪視の人間も好きだ。彼らの視點は何處か別の世界を見てゐる事がある。其の視線の先を追ふのが好きだ。
 己の愚かさを認めずに己を賢いものとして生きる連中も好きだ。自分を愚かではないといふからこそ眞に彼らは愚かなのだ。其の愚かさを見てゐると世の中に多種多樣の人間が存在するといふ事實に感謝し、笑顏で彼らを見守りたくなる。勿論、其の見守る僕も愚か者には違ひ無いのだが。

 好きでは在るのだが、其の理由を述べ連ねるとまるで嫌う理由の樣に他人には受け取られる。僕の述べるのは襃め言葉では無く厭味であらうと受け取る者も多い。
 嗚呼、何でそんなに他人の言葉を曲解して受け取るのだらう。僕は歪んだものが好きだと珍しく素直に告げてるのに。
 でも、そうやって歪んで受け取る類の人間もまた僕は嫌いでは無いのだ。
2004年03月27日(土)
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