世祿侈富
 自分の中で考へを纏めてみた。

 親の金は親の金だ。何億あらうが、何兆あらうが、其の金は僕が費やすべき金では無い。
 親が持つ金は親が彼岸へ旅立つ迄は親のものであり、親の爲に費やされるべき資金だ。
 親が所持する財産が親より前の代から受け繼いだものであるとしても、先祖は子孫の爲に殘したのであっても、子孫が其の財産に頼って自活しない状態なんかを期待して殘した譯では無からう。

 僕は自分を露呈する氣は無い。記述は極力避けて書いてゐる。
 時折、書く事が無い時や自暴自棄になって一部を日記等に書いてゐる事がある。其の時はこれでいいと思っても必ず僕は後で己の愚行を悔やむ。
 弱い理由を曝け出しても強くはなれぬ。弱い自分を出すのも自分だからもう如何しようも無いが、僕は其の理由迄もを曝け出すのを可しとはしてゐない。
 僕は露呈してはいけぬのだ。

 判って居る事だ。他人の同情を引くやうな愚かな眞似をせず自活すべきなのだとは。
 けれども、親の援助を一切受けず實家の財産にも頼らずに働き續ける人を見るとそんなに努力し續けなくてもいいのでは無いのかと思ってしまふ。彼女の努力し續ける其の姿を僕は正視出來無い。
 彼女は己自身の力で財を築き上げる事が可能であると、亡き親の威光に縋り續ける親族達に自らをもって示して見せた。
 確かに彼女は親の七光りにも財産にも頼る事無く成功した。社會的には勝者であるとも云へやう。
 なのに、如何してこんなに僕の眼には彼女の姿が痛々しく見えるのだらうか。

 でも、だからこそ僕は彼女に是以上負擔を掛けぬ樣に自活せねば。
2004年03月26日(金)
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