知らんけど

2003年10月31日(金) 生死について

今日、実習先の先生に薦められて「はっぱのフレディ」を読みました。「感動するわよ〜。」と言われてた割には、さらりと読んでしまって先生には不満なようでした。

人間は必ず死ぬんだし、それに対して悩みを抱いても仕方がないのですが、実習先の病院におられる高齢の患者さん達は少なからず「死」というものと毎日向かい合って過ごされています。中には「死ぬのが怖い。」とこぼす患者さんもいるそうです。そんな患者さんに、先生は「はっぱのフレディ」を朗読するそうです。

「はっぱのフレディ」を読んで感じたのは、生きるって何だろう?という疑問です。死を考えるには生を考えなければならないし、逆に、生を考えるには死を考えなければならないようです。「はっぱのフレディ」は死について語られています。だから、その反動として生とは何かを考えざるを得ない。

昨日の日記とほぼ同じことになりますが、生きるも死ぬも自然の流れの中では大したことない当たり前のワンシーンなんですよね。僕らが何気なく踏み出した一歩の足の下に、一匹の蟻んこの生と死のワンシーンがあってもおかしくないわけで、人間だって蟻んこと対して変わりやしません。お葬式だの、お墓だのと付随するもので面倒なことはあるでしょうけれど、死んだ本人は知る由もありません。

そう考えると、生に執着することも、死を恐れることも、単に気負いすぎということになります。あまり、生や死に価値を見出そうとしてはいけないのかもしれません。自然という大きな大きな視点で生死を語ることに、居心地の悪さを感じられる方もおられるかもしれませんね。確かに、これほどの大きなスケールで人間の生死を考えると、人間の存在価値そのものが危うくなることは確かです。しかし、人間の存在価値を真剣に考えているのは人間しかいないわけですから、結局、自分にとって都合の良い価値しか思いつかないんですよね。

「はっぱのフレディ」で、フレディは最後に土に返り、そして、木々の栄養となってまた新たな命を育てます。人間も同じですよね。自然の流れの中では、僕らが考えるような生死なんて基準を超えた連綿として続く「生」があるわけです。

地球そのものが生命体なのだから、恐れるべき死なんてないんじゃないのだろうか?なんて思います。


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