知らんけど

2003年08月04日(月) 人が動く、「働」

ふと思ったんですけど、「働」という漢字を分解してみると「人」が「動く」に成るんですね。

正直なところ、私は働くのが嫌いです。その理由は、恐らく働くということが多かれ少なかれ、自分らしさでいる事を犠牲にしなければならないというイメージを持っているためです。私のイメージですけれど。何の為に働くかと考えると、まず思いつくのが大人として自立するためという理由ですかね。経済的に自立すること、社会的責任を負うという意味で社会的に自立することでしょう。しかし、こうした自立という言葉の裏には、なんとなく社会に組み込まれて歯車として働くという意味が見え隠れしているのです。

恐らく、人それぞれ感じ方は違うのでしょう。育ってきた環境や、働いている環境で大きくことなるので、一概に私の持つ働くということへのイメージが他の人と共通したものだとは思いません。とにかく、私にはそうしたイメージしかありません。少なくとも以前のサラリーマン時代には、働く事に何の意味も見出せませんでした。まあ、気がついたら銀行の口座に大金があったという意味はありましたが。

しかしですね、今日、ふと「働」という漢字を分解したら「人」が「動く」という風になるじゃんと思った瞬間に、働くという言葉がこれまでの暗いイメージから開放されたんです。人が動くということは、人が生きているということそのもではないか!と思ったわけです。生きているということは、人が動くことそのものですからね。そう考えた瞬間に、働くという言葉を、経済的自立とか社会的自立に関連付ける思考が、実は、働くという言葉が本来持っていた意味を制限してしまっているのではないか?と考えたわけです。

すなわち、人が動くことは働くことなんではないか?もっと言えば、生きている事自体が働きなのだということです。生きている事だけで、何らかの役割を果たしているとは考えられないでしょうか?ただですね、人が動くという見方と同時に、人に動かされているとも分解の解釈はあるわけです。働くとは、人に動かされることなのか?それとも、人が動くことなのか?働いている本人が、どう感じているかで決まるのかもしれませんね。

私は、働くとは人が動くこと、その立場でこれからも働いていきますよ。こうやってホームページを作るのも、私の働きなのです。


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