知らんけど

2003年03月13日(木) preoccupied

久しぶりの休日だったにも関わらず、散髪→ブロードバンドルータとLANコードの購入→紀伊国屋で立ち読み→銀行で新しい通帳ゲット→溜まっていた公共料金の支払い→古本屋に要らない本を売却→レンタルビデオ借りる→妹のパソコンをネットに繋ぐためのLAN設定... とまあ雑用で過ぎていった一日でした。

毎日、何かしらするべき事があるというのは、とても良い事なのですが、こうして丸一日フリーな日があって、しかも次の日も休みってのは気分的にも楽ですね。久しぶりに気持ちにゆとりができたかなって感じがしました。なぜ、こんなにゆとりを感じるほど休みと休みではない日の間にギャップを感じるのでしょう?普段からゆとりを感じながら生活できれば、それに越したことはないのに...です。

私自身、一日を自由に過ごしてみて、ことば通り「自由」を感じたのが印象的でした。「9時半までにここに行かなければならない。」「1時半までに戻らなければならない。」「3時までに仕上げなければならない。」など、普段の生活では意外と制約が多いものなのかもしれません。何が制約で何が自由かは、個々人によっても感じ方は違うのでしょうけれど、最近の私は忙しさにある意味かまけていたところがあったようです。

どいうことかというと、自分らしさを再確認する時間を取らずに過ごしていたということです。英語で「preoccupied」という形容詞があります。「夢中になった,(…に)没頭している」という意味です。非常に前向きな日本語訳がつけられていますが、実際の会話ではネガティブなイメージで使われます。「pre」とは「前もって」という意味です。「occupied」というのは「占領された」という意味です。「前もって占領されてしまう。」という意味が成り立つのです。

行動を起こしつづける事で結果を出していくことは、自信にもつながりますし、充実した生活に必要不可欠な部分でもあります。しかし、そうはありながらも自分という人間を内省して確認するゆとりというものも非常に大事なのではないかと思うのです。もし、不明瞭になりつつある自分自身を、忙しさで「preoccupied」しているのなら、一度、その忙しさを取り除いて、自分自身を見なおす事も必要なのです。


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