知らんけど

2003年03月10日(月) 学ぶ

集中講義も後半に入りました。今日から音声学の授業が始まりました。私が目指すのは言語聴覚士ですから、音声ということに関してはかなりの知識を持つ必要があると思いますし、大事な授業です。授業では、主に日本語の音声について学びます。

言語というのは、まず話し言葉ありきです。話し言葉のない言語はあり得ないそうです。ですから、ことばというのは音声言語を基本としています。音声言語ですから、何らかの音声を使うのですが、どのような音声が、どのようにして発せられるのか?それが音声学です。人間が発せられる音の数は、恐らくかなりの数でしょう。それらのうち現在世界でわかる範囲での音が、すべて発音記号となっています。国際音声表記という形ですべてが記号で表されるのです。国際音声表記(IPA)→http://www.arts.gla.ac.uk/IPA/ipa.html

唇や舌などを駆使して、音を出します。また、音に音色をつけるために口の中の容積を変えて共鳴の調節をしたりします。音声学を学んでいてまず思うのは、どのようにしてこんな複雑な事を人間は習得するのか?ということです。母親の口の中を見て、「た」の発音を学んだわけではありませんし、「か」の発音の仕方を真似したわけではありません。

すべてはトライ&エラーで習得されているのです。母親の発する音を聞いて、それを真似する。自分が発した音が、フィードバックとして自分の耳に入る。その音と母親や他の大人達が発する音と比べてみる。そして、細かい調整をしていく。こうした時間のかかる学習の過程を経て、私達はことばを駆使することができるのです。生まれながらにこうしたことばの機能が脳の一部に存在するという説もあります。どちらにしても、ことばというのは人間を人間たらしめる存在ですし、その習得過程も発音一つとっても、かなり複雑な過程を経てきているわけです。

「学ぶ」と聞くと、「勉強」という苦しい体験が思い出されますが、私は「学ぶ」とはまさにことばの過程にみられるようなトライ&エラーの繰り返しだと思うのです。大量の刺激に日常的に触れ、それについて考えてみる。人間の五感をフル活用して刺激を入れて、そして考える。表現する。そして、それを楽しむことが大事です。こどもは楽しそうにことばを習得しているではありませんか。私達もこどものように、楽しく学んでいきましょう。


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