さんかくのしそう

2002年11月28日(木) 元気を

今日も相変わらず、非常に退屈な授業の連続でしたが、何とか生き延びました。

今、私が力を入れて自身の習慣にしようとしていることが一つあります。それは、「自分にとって大事な人を、一日一度でいいから元気な気持ちすること。」です。大事な人と書きましたが、特に特定の人と定めたわけではなく、その人が私に元気を与えてくれる何かを持っている人であれば、私はその人を元気にする相手として見ます。

例えば、クラスに笑顔が素敵な女性がいます。別に彼女に対して私は何の気持ちもありませんが、彼女の笑顔を見て素直に「素敵な笑顔だな。元気がでるな。」と感じます。ですから、彼女に対して「素敵な笑顔やね。元気の出る笑顔やから、これからも続けてね。」と言います。恥ずかしがりますが、とても喜んでくれます。

決して、外面的なものだけではなく、いつも私が落ち込んでいる時に励ましてくれる人や、やはり、ただそこにいてくれるだけで自分らしさを発揮できるような特別大事な人がいたりします。そういう人に対しても、私は感謝の言葉だけではなく、いかにその人の存在が、私だけでない他の人をも助けているかを心を込めて伝えます。

私を昔から知る人は気持ち悪がるかもしれません。無理もないと思います。私は昔はどちらかというとクールな人間で、他人より自分という感じの人間でした。性格ですから、今でもそういう部分は根本的に残っているとは思います。しかし、今では素直に自分の感情を出したり、弱さを出したりすることができるようになってきました。そのせいか、人の弱さも受け入れられるようになってきたのです。

私が自分の弱さを受け入れた瞬間から、いかに周りの人に助けられているかがわかるようになってきました。別に、周りの人は私を助けているなんて思っていないし、私もみんなに助けてくれなんて大きな声でお願いするわけではありません。しかし、そこに居てくれるだけで私の心を鼓舞してくれる人はたくさんいるのです。存在に感謝できる人はいたるところにいるのです。

これまでの私の傲慢さを反省し、みんなに元気をもらっているのだから、これまでの傲慢さを償うつもりで、みんなに元気を与えたいと考えるようになってきました。元気を与えるという行為は、こちらから元気の出る言葉のような何かを相手に与えることだけではありません。相手が持っている弱さや辛さを、無条件に受け入れる事も相手に元気を与える手段の一つなのです。私は、不完全な人間です。ですから、私が誰かを救い上げて助けるという事はできないかもしれません。しかし、自分で歩いて行こうとする人々の傍で、「歩いているだけでいい感じだよ!」「素敵な笑顔だね!」「そのままでいいじゃんよ。」「自分のペースで行こうよ!」と一緒に歩きながら声をかけることはできるのです。

決して、今の生活は私にとって満足の行く生活ではありませんが、私の言葉で一瞬でも元気が出た人を目の当たりにすると、「生きていて良かった。」と心の底から思えるのです。


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