知らんけど

2002年11月27日(水) 学校

授業が退屈なので、それならばということで、一所懸命話している先生の声を無視して、教科書を頭から精読しました。すでに今学期が始まってから何回か授業をしているのですが、今日の範囲まで読み進めるのにたったの一時間しか要しませんでした。授業とは何なんだろう?という疑問がふつふつと沸いてきまして、非常に虚しい気持ちになったのです。

大体、講義形式の授業とは何の為に行われるのか?こんな根本的なことを疑い始めたのですが、それを考え始めると、なぜ学校に行くのか?というところまで行きついてしまいました。そして、学校とはあくまでも知識の枠組みを与えるところであって、決して知識を与えてくれるところではないのだということを悟りました。知識とは、自分で取りに行って、自分で加工して、自分で消化して、自分の身に変えていく物だと思うのです。

本来なら、学校は自分の身となった知識を、自分の表現法で自分のスパイスを加えて発表する場でもなければなりません。そういう環境であれば、仮に自主性のない生徒であっても、知識に対して自ら近づき、自ら手を伸ばすことで、知らぬうちに自分の身となるのです。しかし、それさえないのですから、今、私はこの学校で何をしなければいけないのかがわかりにくいのです。わかりにくさは目標を曖昧にします。曖昧な目標は動機付けを弱くするのです。

んー、愚痴になってしまいました。しかし、このことを考える事で、なんとか学校と自分を切り離し、自分の人生の方向性を自身の考え方と方法できっちりを修正する必要があるのです。学校に行かなければ国家試験を受ける権利が得られないのですから、行くしかないのですが、勉強というのは学校に行かなくてもできるものです。学校に対する期待を捨てる事、学校をうまく使う事、そして、自分の勉強を高めていく事を考えていかなくてはいけないのですね。

学校とは学ばせてもらうところではなくて、自ら学ぶために使うところなのですね。そういえば授業料もたくさん払ってますしね。


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