知らんけど

2002年10月04日(金) 心で聴く

あるTV番組で越前屋俵太が、心に残ることを言っていました。

「言葉ではなく、心で聴きなさい。」

この番組は越前屋俵太が、様々な職人を彼の独特の話術で取材するという番組で、その回は弓を作る職人さんの所へ取材に行っていました。職人さんには弟子がおり、弓を作る過程の一部をお手伝いしていたのですが、なかなか師匠がお弟子さんに伝えてようとしていることがお弟子さんに伝わらないのです。師匠は、「お前のとのコミュニケーションはどうやって取ったらいいのだろうなあ。」と嘆いていましたが、お弟子さんは現代っ子というか口の利き方を知らないのか、「師匠がもっと正しく日本語を話してくれればいい。」となかなかすごいことを言っているのです。

お師匠が特にその話し方とか態度に対して起こる風でもありませんでしたので、越前屋俵太も苦笑いです。伝統工芸を継ぐ者が少ないという弱みからなのでしょうか?私自身も、そこで師匠が怒らないのが不思議でしたが、番組はそのまま弓を作る作業を淡々と紹介していきました。あのような歴史のある伝統工芸品の製作というのは、まさに勘と感覚がすべてのようです。弓とは関係ありませんが、精密機械よりも熟練した人間の手の方が本当に微妙な違いを読み取るそうです。職人芸とは、こうした人間の研ぎ澄まされた感覚によって成り立っていたといっても過言ではないと思います。

そうした、人間の感覚や勘というものが非常に重要視される世界で、このお弟子さんが師匠の立場に立って物事や言葉を判断できないのですから、職人としての素質に疑問を持たざるを得ないという気持ちで番組を見ていました。

この番組では、越前屋俵太が最後に職人さんに、彼が職人さんやその仕事振りを見た感想を書をしたためるのが恒例になっていて、その回も例に漏れず、弓の職人さんの仕事振りに対して「弓は心で打つべし」としたためたのです。そして、お弟子さんの方を向いて放った言葉が冒頭の言葉だったのです。

心で聴くというは非常に抽象的な言い方ですが、人間のコミュニケーションは様々な形で行われます。言葉を話す、聴くという行為だけではなく、その言葉の表現の仕方、言葉と言葉の間の沈黙、言葉を発する時の表情、言葉が発せられる背景要因など、色々な情報を元にコミュニケーションを成り立たせているのです。まずは、言葉だけにとらわれないことが大事なのです。また、コミュニケーションには必ず理由があります。どうしてこの人は、こんな事を言うのだだろう?どうしてこの人は、こんなに人の話しを聴かないのだろう?彼らの言葉や態度だけを見て、その人の真意がわかるのであれば、この世の中にこれだけ誤解は生じません。相手のコミュニケーションの動機がどこにあるのか?それを気にしながら話す事。これこそが、心で聴くということではないでしょうか?

あなた自身も、心を聴いて欲しいのでは?


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