知らんけど

2002年09月28日(土) 体力

体力には、肉体的な体力とは違った体力が存在するようです。例えば、勉強をしなければいけない時に、机に向かうとか教科書を広げるとか、集中して読むとかなどを行うには意思の力が必要です。また、それを持続するという事に関しても、大変な精神的な体力を要します。働く際も体力が必要です。今、手をつけている仕事に取りかかる体力、それをじっくり検討し、様々な可能性を考えながら細かい部分をつぶしていくという作業はかなりの精神的体力を要します。

これらの体力はどのようにしたらつくのか?恐らく、肉体的な体力と同じように、トレーニングが必要なのです。瞬発力をつけるにはそれなりの筋肉を付けるトレーニングをしますし、持久力をつけるには長い距離を走ったりしてトレーニングをするわけです。肉体のトレーニングにおいてポイントとなるのは、「負荷」です。今以上の体力をつけるには、今以上の力や能力を使う努力をしなければ肉体は強くならないし、技術は向上しないのです。

精神的な体力の向上にも、同じように負荷をかける必要があります。しかし、肉体のトレーニングと違うのは、何か今以上の負荷を加える事ではないのです。精神的な負荷のかけ方とは、私が考えるに、「継続すること」だと思うのです。人間の集中はそれほど長く持たないと良く言われます。実際、私も長くは集中力が持ちません。それゆえに、一つのことを持続して何時間も行えなくて途中で、テレビを観たり、音楽を聴いたり、パソコンを開いたりという楽な方向へ流れがちです。

楽な状態も必要なのです。しかし、ここで必要なのは精神的にそういった楽な方向にすぐには行かない体力です。ですから、ここで楽な方向へは行かずにもうちょい頑張ってみようという、継続の力を意識的に発揮する必要があります。精神的な体力をつけるには、このような継続するという負荷が必要でしょう。

しかし、何も同じことをずうっとやる事が継続とは限りません。生活の中には、色々とやらなければいけない事をがあります。一つのことをやっていて疲れてきたら、また別のことをすれば良いのです。テレビをつける前に、音楽を聞く前に、そしてパソコンをつける前に。このような継続は、実は何も新しい道具を必要とするわけでもありませんし、うまく行けば、気持ちはどんどん楽になってきて充実感さえ得るようになります。肉体的なトレーニングは負荷をかけることで疲労を呼びますが、精神的な継続という負荷は疲労ではなく結果と充足感を残すのです。

もうひとふんばりが、精神的な体力を増強するのではないでしょうか?


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