受け入れる

受け入れるということは、字面だけをみると受身の態度のように聞こえますが、実は積極的な態度のことをいうのだと思います。両手を広げて、「どんな状態でもいい、飛び込んできていいよ。」と言えるには何が必要なのでしょうか?

一つは、自分自身の弱さの認識があげられるでしょう。弱い側面の自分を素直に認められる人は、他人の弱い部分を思いやる事が可能ではないでしょうか?確かに、人の数だけ種々の弱さがあるでしょう。だから、他人と同じ気持ちには絶対になれないのは確かです。しかし、どんな気持ちであれ私以外の誰かが「弱さ」を抱えて生きている。ということは想像ができるのではないでしょうか?自分の弱さから目をそらすのも一つの生き方ですが、そのような人は他人の弱さが許せないはずです。「私はこんなに強く生きようとしているのに。」と思う傾向はないでしょうか?私はありました。そして、毎日イライラしていました。

強く生きようとすることは非常に大事ですが、この「強さ」というは「強さ」vs「弱さ」という二項対立では語れない深さがあると思うのです。逆説的な言い方になりますが、「弱さを受け入れられる強さ。」という強さがあると思うのです。良い意味での「開き直り」といえるかもしれません。自分の弱さ、そして、その延長線上にある他人の弱さを受け入れられる事は、積極的な受け入れの態度に必要不可欠な要素の一つだと思うのです。

もう一つは、どんな事でもそれなりにやれば、それなりの結果が、それなりの時間で出るものだということを認識することでしょう。簡単に言うと、面倒臭がらないで、人のために時間を割いてみるということです。人のために時間を割くことによって、自分の時間が無駄になるというのも確かです。しかし、時間を割くことで、その時間が自分にとっても有益な時間だったと感じる事ができることが少なくないと思います。始める際に、「面倒だな。」と思うのはあなたがちゃんとした人間としての感情をもっている証拠です。しかし、始めてみるとそれが面倒だと思わないことはしばしばあります。それでも、行った後で面倒だったと感じるのであれば、何か別の方法はないかと探ればいいのです。

受け入れるという行為は、非常に積極的な意思がなければできない行為です。この受け入れる行為が、なんなくできるようになれば、他人との関わりそして自分自身との関わりさえうまく行くようになると思うのです。自分自身を受け入れる事が出来ない人はたくさん居ると思います。「私は実際どんな人間なのだ?」と問う事は多いのではないでしょうか?

自分の弱さを認識する事、そして、面倒臭がらずにやってみる事、この2つの行動によって少しづつ他人も自分自身も受け入れられるようになってきた自分がとても心地良いのです。

過去の今日
2002年09月11日(水)

日記 / issy