さんかくのしそう

2002年08月31日(土) 赤信号

ゴンチチに一緒に行く人が決まりました。最初は、誘う人誘う人片っ端から断られました。「お金払っていく価値なし。」、「誰?」、「歌ないんやろ。」などなど、私のゴンチチへの思いを踏んづけるような発言までありました。音楽に対する好みなんてそんなものなんですかね。私は、色々な音楽を聞いてみたいと思いますし、ライブに行けば必ず何か頭での理解を超えた感動があると思うのです。たかが音楽の好みですが、「ゴンチチ行かへん?」の一つの誘いでその人の心の柔軟性が計れます。断り方一つとっても、その人の人柄が出ますね。

というわけで、9月14日の大阪城野外音楽堂、楽しんできます。[ゴンチチとは?]

本質を捉えるということは、私の生活の中で重要な考え方です。当たり前と思われることや、常識と言われていることが、実は本質的には間違っていることがあります。また、建前で曇ってしまって分からない状態のまま世の中に氾濫していることがあります。先日、学校の先生が偶然にも私と同じ考えを授業中に言っていました。「赤信号なら、あなたはどうする?」

これは意外に奥の深い質問でして、解釈の仕方によって答えが分かれます。「公共性」をキーワードにするのであれば、あなたは「止まります。」と答えるでしょう。「安全性」を重視するのであれば、「ちょっと遠くから車が来ているのなら、無理はしませんが、まったく車が来ていないのであれば、渡ります」と答えるでしょう。「緊急性」を重視する人であれば、「走れば間に合うのであれば、渡ります。1分1秒を争っているので。」と答えるでしょう。

「赤信号」というのは、規則だしルールだから、みんながそれを無視してしまうと秩序が保たれない。という意見もあるでしょう。そう考えると、ルールありきという考え方は、秩序優先の考え方ということができるでしょう。秩序優先が極まると管理される状態が生まれます。管理されるということは、私達の行動が制限されるということです。私達の個人の感情や思考や判断は、それほど大事なことではなくなるのです。

ルールを守るということは、管理されること、管理されるということは、考える必要がなくなると言うこと。なんだか、悪い一面だけを見ているようなので、良い面を考えてみましょう。ルールを守ることが徹底されれば、交通は管理され、事故は減るでしょう。ん?ルールを守ると言うのはそれだけのメリットしかないのでしょうか?それ以外に何か思いつきますか?

こうして考えると明らかですが、赤信号は止まるものという世間的には当たり前のルールが実は非常にアンバランスなルールであるということが分かってきます。ただし、私はここで「赤信号は止まらなくて良い。」と断定しているのではありません。物事には優先順位があります。赤信号における優先順位とは「緊急性>安全性>公共性」と考えられます。私が、どの優先順位を持って赤信号に対応するかは、私の判断となります。

赤信号のルールが持っている大命題とは、交通の秩序です。秩序が保たれているのであれば、公共性にこだわることなく、個人がそれぞれの判断を下してもいいのではないでしょうか?私は、車が来ていない赤信号であれば、躊躇無く渡ります。

「赤信号、みんなで渡れば怖くない。」こんな集団の秩序に左右される人生はゴメンです。大きなものに巻かれることが公共性ではない、一人一人が考え判断し、責任を持って行動することで、自然に秩序ができあがる。それが本質だと思います。


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