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2005年03月20日(日) はじめての行進

 3月18日はパリ・コンミューン記念日なのだそうだ。知らなかった。この日にちなんで、毎年「解放運動無名戦士合葬追悼会」なるものが開催されているのだそうだ。知らなかった。青山霊園に「無名戦士の墓」があって、労働運動や平和活動なんかに貢献した人が亡くなると、そこに合葬されるんだそうだ。知らなかった。

 ほんとうに世の中には知らないことがたくさんあるものだ。まあ、この件については世のほとんどの人が知らないと思うのではあるが。知っているのは関係者くらいのものだ。私も関係者になったから知ったわけで。最初、父からの電話で「3月18日に東京に行く、無名戦士の墓にママが合葬されるから」と連絡を受けた時には「な、なんだって???」としかリアクションのしようがなかった。話を聞いてもよくわからないので、父から書類をファックスしてもらって熟読してみた。それでもよくはわかっていないのだが、一応あやしげな話ではなさそうだと確認できたので安心した。

 無名戦士の墓というのは、プロレタリア文学「女工哀史」を書いた作家の遺族が昭和の初期に建立したのだそうだ。戦中は有刺鉄線はりめぐらされて特高が監視していたという。戦後になって今のような盛大な合葬追悼運動になってきているらしい。ちなみに今年の新規合葬者は1144名だそうだ。

 父も母も某革新政党の党員だったし、地域ではそれなりにリーダー的な活動をしていた。今回、最初私が戸惑ったのは「無名戦士の墓」という名称と、この追悼運動を仕切っている団体の名称が、父母の属している某革新政党のイメージとそぐわないように感じたからだ。墓の名称については、もともと「解放運動無名戦士の墓」なのだが、戦前の治安維持法で「解放運動」の文字は刻めなかったということらしい。

 とにかくそんなわけで、偶然有休消化のために休みを取っていた私は、父とともに日本青年館での式典に出席し、そこから青山霊園までの約40分間の道のりを行進するはめになったのだった。一応先頭に横断幕を掲げた行進ではあるが、参加者はほとんどが高齢者だし、みな献花のための菊の花を一輪ずつ持っているし、都道府県ごとに幟を立てているし、警官の誘導でだらだら歩いているし、端からみたらどういう団体に見えたのだろう。普段遊びに行っている外苑前や青山一丁目や、そんなところをまさか行進するとは思わなかったよほんとに。

 ちなみにこの追悼会、遺族の慰労も兼ねているようで、遺族一人分の東京までの交通費は出してくれるし、宿の世話やら翌日の都内見物やらも手配してくれるそうだ。労組も市民団体も某革新政党も貧乏だろうに大変だなと思っていたら、やっぱり全部寄付でまかなっているとのこと。スタッフも全部ボランティアっぽかった。組織ってすげぇって思っちゃった。
 
 私自身は政治的には左寄りではあるが、団体活動が苦手という性格のためか未だかつてどこの政党や政治団体にも属したことはないし、今後もそうすることはないだろうなと思う。それはもう、今回1000人くらいで行進してみて「やっぱりわしには向かん」と再確認してしまったのだった。


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