アナウンサー日記
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2001年01月21日(日) |
選抜女子駅伝北九州大会と、真面目に生きてきたごほうび |
ごらんになった方もいらっしゃるかと思うが、「選抜女子駅伝北九州大会」のテレビ中継で小倉まで出張してきた。(詳細は後ほどレポートで・・・)
オンエアの解説は、あの!「増田明美さん」。あの世界的ランナーの増田さんと一緒に仕事ができる・・・もう、それだけでこの中継スタッフに参加できてよかった・・・という感じの、シアワセモードのワタシであった。
オンエア前日の夜、増田さんをアナウンサー10人ほど(RKB・OBS・MRT・NBC・・・)で囲んでの打ち合わせ兼飲み会が行われた。ホンモノの(?)増田さんは小柄だけれどバイタリティーに溢れ、とても気さくな方で、一同いっぺんに増田さんのファンになった。
さて、みんな程よくビールを飲み、増田さんを始め各局のアナウンサーたちのただでさえよく動く口もますます滑らかになったころ、ワタシの携帯電話がなった。電話のヌシはワタシとコンビを組むことが多いNBC・Sディレクターであった。タイミングとしてはちょっぴり悪かったのだが、ワタシは席を外して、彼の用件のラジオ番組の打ち合わせをした。
電話を切る間際、増田さんを囲んで呑んでいることを伝えると、Sディレクターは「増田さん、なつかしいなあ」と言った。彼は、NBCに入社する前にTBSラジオでディレクターをしていた経歴があるのだが、そのころ、増田さんのラジオデビュー番組のミキシングを担当していたという。もう10年くらい昔の話だ。「増田さんは俺のこと覚えてないだろうけど」と彼は自信なさそうに言ったが、ワタシは電話を切ったあと部屋に戻り、Sのことを増田さんに伝えた。
すると増田さんは、大きな目をひときわ見開いて「ええ、Sさん!覚えてますよ。あの番組から、私、色んなラジオやテレビにでるようなりましたから。あのころのことはよく覚えてます」とおっしゃったのだ。
ワタシは携帯でSを呼び出し、増田さんに代わった。
ふたりの会話の内容はよくわからなかったが、増田さんのラジオデビューとなったレギュラー番組がとてもいい雰囲気で行われていたことや、増田さんがその思い出を大切にしていること、そして思い出の中には、ちゃんとSの存在もあったということは分かった。
電話をきったあと、実はSが諫早高校で陸上部の松元監督の教え子だったことを話すと、増田さんは「彼、そんなことひとことも言わなかったよ!」と驚かれていた。思うに、当時のSは、オリンピックランナーに自分がアスリートだったことをいうなんて、なんだか恥ずかしくてあるいはおこがましくてできなかったのではないか。
同僚のワタシがいうのもなんだが、Sはマスコミの人間には珍しく、とても謙虚で慎み深い上、常識のある男である。生き馬の目を抜くようなこの社会の中で、不器用に真面目に生きているひとなのだ。だからいつも損ばかりしている(ように見える)。
でも、増田さんは彼のことを覚えていた。10年も前のことなのに、名前まで覚えていてくださったのだ。ワタシはそれが、まるで自分のことのように嬉しい。
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