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■ 「セカンドシリーズを作った男たち」(前編)
この作品は、フィクションです。作品中に登場するあらゆる人名、地名、作品名等は、実在のものとは一切関係ありません。
その日。アニメ監督、山上は上機嫌でスタジオの廊下を歩いていた。 彼が監督したオリジナルビデオアニメが好評を博し、ついにセカンドシリーズが作られることが決まったのだ。プレス発表の後、仲間のアニメーターたちとささやかな祝杯を上げ、自分の城であるスタジオに戻ってきたところだった。 今日は作業しているスタッフもまばらで、締め切り直前の慌ただしさはない。ただ、次のシリーズの下準備をしているスタッフや出入りの雑誌記者が数名、彼に会釈する。 また、気心の知れた仲間と、自分たちの好きな作品が作れる。山上はそう信じて疑っていなかった。そう、この時までは。
一人のスタッフが、自室に入ろうとした山上を呼び止めた。 「山上監督。お客様です」 「客?」 それが誰なのか聞き返す前に、スタッフは自分の作業に戻ってしまっていた。 誰が来たのかわざわざ断るまでもない相手ということか。…しかし、まさか。脳裏に浮かんだ顔を打ち消し、山上は客の待つロビーに向かった。 ロビーで待っていたのは、彼が想像した通りの…そしてありえないと打ち消した相手だった。 椎尾護。山上の同業である、アニメ監督。いや、椎尾と同じと名乗るなど、山上にはおこがましくて出来ない。 かつて山上は、椎尾塾と呼ばれる、椎尾が若手を育てる私塾に参加していた。そこで山上は椎尾の助手を務めて技量を磨いた。椎尾こそ山上の才能を見出した師匠であり、恩人であり、偉大な先輩だった。 で、ありながら。椎尾が山上のもとを訪れたことに、山上は言いようのない不安を感じていた。 椎尾はそんな山上の不安を知ってか知らずか、珍しく(そう、椎尾はほとんど笑わない男なのだ)満面に笑みをたたえて右手を差し出した。 「山上、おめでとう。あの作品のセカンドシリーズの制作が決まったんだって?」 握手を交わしながら、山上は頭に浮かんだ最大の疑問をぶつける。 「椎尾さん、こんなところにいて大丈夫なんですか?」 椎尾は今、山上と同じ原作を持つ作品の劇場版の監督をしている。原作が同じとはいえ、普通のアニメ作品とは違い、スタッフはまったく別だ。まったく違う制作スタッフによって、まったく違うラインで作られる別作品。
山上は今回そちらの作品には関わっていなかったが、スタッフたちの苦労は伝え聞いていた。世界最高級のCG技術を駆使したその劇場作品は、制作ラインに多大な負担をかけていた。しかも、その作品は続編物だった。前作のファンには受けるが、前作を見ていない人間にアピールできない。そのデメリットを打ち消すため、スポンサーたちはとんでもないことを思いついた。 日本で一番有名なアニメスタジオとの提携である。椎尾の知名度とスタジオの知名度で、両方のファンを取り込む。最初この話を聞いたとき、山上は何かの冗談と疑ったものだ。 これこそ悪魔に魂を売るに等しい。そのアニメスタジオのカラーと椎尾のカラーは、まったく重なるところがない。ファン層もだ。両方に受けようとしてどちらにも受けない作品が出来るだけではないか。 そんなこんなでスタッフの苦労は並み大抵ではない作品なのだ。そして…椎尾は、自分の作品には隅から隅まで関わることで有名だった。山上も、彼の助手を務めていて、そのことはイヤというほど思い知った。
…その椎尾が、何故ここに。自分の作品制作が佳境に入っている時、わざわざ祝い事を述べるために人のスタジオを訪れるような男ではないはずだ。 だが、椎尾はあいまいに笑った。そして、ふと山上は気付いた。椎尾は自分の鞄を持ってきている。鞄の隙間から紙の束がはみ出していた。 『手ぶらじゃない…ということか』 これから自分の作品の制作を手伝えとでもいうつもりだろうか。いや…いくら椎尾さんでも、そんな無茶は言わないだろう。これから新シリーズをスタートさせる人間に向かって。 だが、山上はすぐに知ることになる。劇場版を手伝えと言われる方がよほどマシなほど過酷な運命が彼を待ち受けていたのだ。 椎尾は思い出したかのように、鞄を開けた。そこに入っていたのは、資料の山と、薄い企画書だった。それを指し示しながら、椎尾は、さもなんでもないことのように言った。 「山上、今度のセカンドシリーズ、俺も関わらせてもらうことにしたからな」 山上の頭が、一瞬真っ白になる。 「な…そ、そんな急に! 劇場版はどうするんですか?!」 「ああ、もちろん、放りだすわけにはいかん。だから関わらせてもらうと言っても、大したことじゃない」 「劇場版のキャラクターをゲスト出演させる話でも作れということですか…?」 同じ原作とはいえ、違う設定の作品のキャラクターとなると、脚本の調整は極めて難しくなる。シリーズ全体でも浮いた話になってしまう。既にシリーズ全体の青写真を構想している山上に、たやすく肯ける話ではない。ただでさえ、原作重視の山上の本と違い、椎尾の本は原作を無視していることで有名なのだ。 しかし…山上の考えはまだまだ甘かった。 「俺はコンセプトワークをやらせてもらう」 山上は、今度こそ頭を殴られたような衝撃を味わった。 コンセプトワーク。つまり、シリーズ全体を通した、監督よりも上位の存在。原作つき作品でありながら、もう一つ別の原作を持つようなものだ。山上の作品は、二つのベクトル、二つの超越者に縛られることになる。 山上の動揺をよそに、椎尾は続けた。 「ファーストシリーズは見せてもらった。悪くはないが、原作を重視しすぎてるな。別の作品である以上、原作を越えるモノがなくてはいかん。後は敵だな。人形使い…だったか? 敵が弱い。だから今回は、俺が敵の設定を作らせてもらう」 「笑い男…です。人形使いではなくて…」 山上がかすれるような声で告げる。だが、椎尾は一顧だにしない。 「ん? そうだったか? まぁ、いい。どっちでも。とにかく、敵というものは体制側にいて、しかも思想を持った存在ではなくてはいかん」 その後も椎尾は話し続けていたが、ほとんど山上の頭には入っていなかった。 椎尾のその思想は、実は原作者の思想とは真っ向から相反するものなのだが、椎尾は意にも介した様子はなかった。 「…で、だな。スタッフは俺の方で何人か工面しておいたから」 最後のその言葉に、山上の意識が覚醒する。 「ちょ、ちょっと待ってください。私はセカンドシリーズは、ファーストシリーズと同じスタッフで作るつもりで…」 椎尾は、ふむ、と言って右手を突き出した。 「見せてみろ」 「え?」 「スタッフの一覧表だ。あるだろう、持って来い」 山上が差し出したそれを、ざっと眺める。その間、およそ30秒もあっただろうか? 「こいつと…こいつと…あとこいつだ。外せ。代わりに俺のスタッフを入れる」 椎尾が指差した名前を見て、山上は愕然とした。皆、ファーストシリーズの脚本を、納得いくまで共に叩き上げた仲間たちだ。原作を十分に理解し、それを形にする才能の持ち主たち。しかし…椎尾塾の出身ではない、いわば外様のスタッフだ。それだけが共通点だった。 沈黙した山上に、椎尾はあからさまに不機嫌な表情になる。 「山上。お前、まさか不満なのか? 俺の言うことに、何か不服があるのか?」 山上は慌ててかぶりを振った。大恩ある相手に、まさか否やを唱えられようはずもない。椎尾は満足げに肯いた。 「そうだろうな。お前は俺の弟子の中でも一番見込みのあるヤツだったよ、昔からな。あ、そうそう。俺がコンセプトワークをやるって話は、スタジオに来てた雑誌記者に話しておいたぞ。 やたら嬉しそうだったからな。すぐにも記事にしてくれるだろうよ」 廊下ですれ違った雑誌記者の顔が浮かぶ。記事にされたらもう後戻りは出来ない。退路を断たれたも同然だ。 しかし…椎尾は業界の大御所だ。逆らえば、山上はもちろん、スタッフたちもただでは済まないだろう。二度とこの業界で職には就けないかもしれない。 今や日本で一番有名になったアニメ監督、崎宮早雄に数々の伝説があるように、それぐらいの個性がなくては監督になることなど出来ないのかもしれない。 しかし…。
助監督の鳥羽と草戸がスタジオに戻ってきたのは、椎尾が帰ってしばらくしてのことだった。まだ何も知らない彼らは、監督室の扉を開けてあっけに取られた。 「誰か教えてくれ…俺はどうすればいい…?」 部屋中に散らばったコンテ用紙の山の中で、窓から外を睨みつけ、呟き続ける山上の姿がそこにあった。
2005年01月17日(月)
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