びっと日記
びっと



 ある質問に対する回答。

 一応、設問の前提条件とされていることについては事実である、と仮定する。
 なお、用語の定義については回答者の解釈に基づくものである。
 この設問におけるRPGとは、いわゆるTRPGのことである、と仮定する。

問1:

 なぜRPGは、「コミュニケーションの遊び」「社交的な会話の遊び」と常識のように言われながら、肝心のコミュニケーション技術に関して、具体的な上達方法がRPG畑から提唱されてこなかったのか、「社交的な遊び」であるはずのRPGがしばしば失敗や崩壊の憂き目にあう問題の原因は、一体どこにあったのか。これらの問題について、あなたの考えを述べなさい。(自由回答)


回答1:

 この設問は二つのことを同時に聞いているので、分けて回答する。

 もし「コミュニケーション」がいわゆる広義の会話全般、つまり設問者が「会話の上達方法」のことを述べているのであれば、それをTRPGのルールブックに求めるのはお門違いである。TRPGは会話を「ツール」に使うが、ツールの使い方まで解説はしない。「キャラクターレコードシートを綺麗に書くための書き方講座」や「ルールブックが折れ曲がらないように鞄にしまう方法」までルールブックに書かないのと同じことだ。
 TRPGをプレイする人間はゲームを楽しみたいからプレイするのであって、会話の上達方法をTRPGに求めているわけではないのだから。

 次に、TRPGがしばしば失敗や崩壊の浮き目に会う理由。それは、他のゲームでもありうるという点においてTRPGの特異性を証するものではないが、もし設問者が「他のゲームよりも失敗の頻度が高い」と考えているのであれば、それは「審判」(ジャッジ)の役目を「遊ぶ者のうちの一人(すなわちGM)」が担っているためだろう。
 日本のTRPGは、TRPG発祥の地である米国のTRPGと、その浸透過程において大きな違いがある。すなわち、日本ではTRPG以前にコンピュータRPG(以下CRPG)が既に広く知られるものとなっており、ゲーム上における各種数値の処理速度、視覚に訴えるインパクト、一人でも遊べるという簡便さ、などに代わるTRPGの「長所」を売りにする必要があった。
 それが自由度の高さという「幻想」である。
 すなわち、TRPGは人間同士でプレイするため、プレイヤーがどのような行動をとっても対処ができるのが長所だ、というものだ(特にSNEのリプレイなどにおいて今でも時折言われる)。
 これが転じて「TRPGでは、プレイヤーはどのような行動をとってもよい。GMはそれに必ず対処しなければならない」という誤解につながった。
 しばしばそういった誤解したプレイヤーは古今東西のあらゆるTRPGに共通の黄金律をしばしば踏み越えてしまう。ルールを破れば、手でボールを投げ合うサッカーや竹刀を投げつける剣道同様、ゲームにならないのは自明の理である。
 ちなみにそのルールとは先程の「TRPGは全てのプレイヤーとGMが楽しむためにある」というもの。相手に不快な思いをさせた時点でそのプレイヤーはルールを破っているのだ。
 このルールを守らなければならないTRPGは、「ゲームシステムが許す限りありとあらゆる行動が許される(バグ技であっても、食事中放置してもいい)」CRPGより「自由度の低いゲームである」はずだ(本来は)。

設問2:

 RPGは会話自体を楽しむ遊びであるとされるが、それでは単なる雑談とRPGセッションとの会話には明確な差がないことになる。RPGと雑談を比較した時の、コミュニケーションの“質”の違いについて、あなたの考えを述べなさい。(自由回答)


回答2:

 設問の意味も意図も不明だが、仮に雑談とTRPGの大きな差があるとすれば、その会話の内容がルールブックの記述やサイコロの目などによって、その場に同席していない第三者にもわかるように「相対化」されるかどうかということではないろうか。
 TRPGはルールブックの記述者の視点で、常にプレイヤーによって数値化される。これは、会話のやりとりによってプレイヤー双方に生じたイメージを、さらにその場にいる他の人間、時にはその場にいない人間の間で共有化する(あるいはそう錯覚させる)。
 ゆえに、キャラクターシートのないTRPGはほとんど存在せず、カードやサイコロなど違いはあっても「乱数発生装置」のないTRPGもほとんど存在しない。
 なお、会話の内容を直接比較しても、2時間雑談をしていた人間とTRPGを2時間プレイしていた人間の会話に優劣はまったく存在しない(当たり前だが)。

設問3:

 RPGのその“質”の違いがもたらす、RPGのコミュニケーション的特性とは一体何だろうか? あなたの考えを述べなさい。(自由回答)


回答3:

 TRPGのコミュニケーション的特性というものがもし仮にあるとするなら、それはTRPGをプレイしたことにより、プレイヤーとGMには共有するイメージが発生している(あるいはそう錯覚している)ということである。ゆえに、その共有したイメージを前提とする次の「TRPGセッション」が成り立つし、またそれはデータというものさしで相対化されているため、そのゲームに参加しなかった第三者にも、その内容をある程度評価することができる。
 ただし、それは「先週ガンダムSEEDディスティニーを見たヤツと雑談できたから、また今週も同じ話で盛りあがれる」と言っているのと同義であり、コミュニケーション手段としての「会話」について、なんら上達も熟練もするわけではないし、優位性を立証するわけでもない。
 キャラクターシートを100枚書いても字は上手くならないのだ。

設問4:

 RPGはコミュニケーションによって進行する遊びだとされるが、実際には他のカードゲームやボードゲームにも、似たような雑談は当たり前のように存在する。一般的な意味でのコミュニケーションは、RPGの専売特許ではない、と言えるだろう。むしろ本当のRPGの特異性は、会話“以外”の要素の欠如、すなわちコマやゲーム盤が存在しないことにある。RPGにいわゆるゲーム盤が存在しないことと、RPGがコミュニケーションによって進行することの2つの特徴の間に、どのような関係があるかを検証しなさい。(自由回答)

回答4:

 何故これが設問1ではないのかとまず逆に聞きたい(笑)。さらに検証せよという条件が意味不明。対照実験でもやれと?
 まず、TRPGにおける「会話」は、繰り返すが、意志疎通のために使用する単なるツールである。しかも、設問者はTRPGとは会話以外の要素が欠如しているというが、実際にはルールブックなど、会話以外に使用するツールは少なくない。
 もし、仮に駒やゲーム盤を使用しないことがTRPGの特性であるというのなら、パールシードやD&DアドベンチャーズなどのTRPGをどう規定するつもりなのか。
 もし、仮にであるが、駒やゲーム盤を使用しないことに対して特異性を見出そうとするなら、繰り返すがそれは「相対化」の道具として視覚的に強い印象を与えるツールが、比較的TRPGのツールとして適さない、という程度のことであろう。

自由欄:

以上の設問に答えた上で、あなたがRPGとコミュニケーションについて思うところを、自由に述べなさい。(自由回答)

 TRPGというゲームにとって、コミュニーケーション…会話はひとつの道具に過ぎない。しかし、道具として「会話」を使い、しかもそれ以外の道具(「想像力」なども含む)が目立たないがゆえに、「TRPGにとっては会話こそが主たる道具であり、しかもそれは使い続けることによって上達する」という悲しい錯覚を覚える人間が多数現れた。しかし実際は、TRPGをプレイすることによって会話が上達するということはない。
 TRPGプレイヤーだから会話が巧いはず、という思い込みと現実とのギャップは、これまでも多くの悲劇を呼んできたし、もしそう思い込む人間がこれからも絶えないのであれば、そのすれ違いによる悲劇はこれからも減らないであろう。

2005年01月16日(日)
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