願い下げサワー。

窓を閉めたのは昨日で、
窓越しに外を眺めるのは今日。

時間の進み方には個体差があって、
緩慢に生きても生き急いでも生活の総量は同じなのだという。

忘れることや忘れないことに関する諸々を
何とはなしに考えてみたりしていた。
それはある意味停滞なのだろう。

予め定められた一線を前にしていると
その手前に自ら線を引きたがる癖を持て余す。
答の解っている質問を敢えてしてみる。
解っている答を聞くことで心穏やかになれるのだろうか。

「じゃあそれでお願いします。」

過保護を詰め込んで膨らんだ紙袋を持ち上げる。
その重さは期待感か、それとも積み重ねた不満か。
見えない先に待つ降りる必要のない階段は
今も微笑んでいるのだろうか。

非晶体を通した映像を受容することは放棄しよう。
開け放つ窓がなくならないうちに。

零と壱の綴れ織。
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