海津ほろよい日記
湖畔の酒蔵 ほろよい社長の日常

2003年04月29日(火) 海津祭りにハレするまわし

江戸時代、巡業の力士連中の向うをはって、化粧回しを締めておみこしを担いだのが起源といわれる力士祭りの日です。

海津祭りには都都逸(どどいつ)調の気の利いた祭り唄がたくさんあって、いくつか御紹介しますと、

「海津祭りにハレするまわし ハレするまわし 神龍 稲川 四つ車(シコ名のこと)」

「私のこころとお宮の屋根は お宮の屋根は かわらない(瓦がないと、変わらな いをかけている)ぞえいつまでも」

「米のなる木(稲のこと)でつくったワラジ つくったワラジ 踏めば小判の跡
 がつく」

ちょっと意味シンで、エッチなものもあります。
「いれておくれよ痒くてならぬ 痒くてならぬ 私ひとりが蚊帳の外」

もっと、エゲツなくて放送禁止用語が飛び出す唄もあるのですが、まあ琵琶湖の湖上交通の要として繁栄した時代、血の気の多い漁師や船頭さん、人足さんなどが活躍したお祭りなのでお目こぼしいただきたく思います。

いずれの唄も、昔、海津という町に造り酒屋や醤油屋さん、味噌麹屋をはじめ、遊女のいる遊郭まであって小都市としてワンセット揃っていたことを伺わせてくれます。

1時に大人の御神輿が海津天神社を出発。町内を2巡するのですが、要所要所では御神輿を大きくゆさぶり、まさに港町のお祭りの面目躍如。

夜8時すぎ、海津天神社にたいまつの火に照らされて帰還、境内でひとしきり御神輿を揺さぶってお祭りは最高潮をむかえます。

御神輿が納まって家にかえる道すがら、田植え間近のたんぼからはゲロゲロとカエルの声がいたるところから聞こえ、燃え尽きたたいまつからは、昔、薪で煮炊きをしたときの郷愁のあるにおいが。お祭りのあとの物寂しさをかきたててくれます。

祭り唄を最後にもうひとつ。
「まつり、まつりと待つのが祭り 待つのが祭り 済んだ後宴(ごえん)がなにゃよかろ。」

(後宴とは、お祭りの翌日にする、御神輿のかき手の慰労会でまた呑みます。)








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