2004年05月11日(火) |
「しあわせ」、ってこんなことか |
生まれて初めてこんな種類の感情を味わっているんだけど。
*****『幸せ』って、きっとこういうこと。*****
と思う時間が、最近多い。
数ヶ月前は、あまりにも感情が全くなく ないくせに内臓リモコンひとつで自分を操作出きる自分がいた。 今は楽しそうに笑え! 今は困った雰囲気を出して。 一人でボーっとしてるふりして! 楽しそうにして!この人のことダイスキ、って目をしなさい!
全部全部、一瞬たりとも気を緩めずすべてリモコン指示にしたがっていた。 というより、そうしなければあたしは 無表情でそこに立つ、空家の壁みたいな人間だったんだ。 あまりにも日々に疲れていた。 周りの人間全てを憎んでいた。 周りは何も変わっていないのにあたしだけが一方的に。 抜け出せなかった。 世の中の全てを、フトンの中で目を覚まして天井を確認したその瞬間から あたしの体にある「無気力フィルター」を通して遠目で見ていた。
今は、全く変わった、なんて思わないけれど 違うコトは確かだ。
きっかけは、体を壊して仕事を休んで実家に帰った2週間。 まったくチガウ環境、違う速度に置かれた。いや、置いたんだ、 自分がソウしたんだから。
空家の壁、な環境から離れて1日、二日。あんなに 無気力フィルターが苦しくて着物を着たままフトンの上で 無表情のまま涙が止まらなかった自分が、ガスギレのライターの火のように しゅぅーー・・・・と消えて行った。
思った。 あたし、毎日がギリギリ過ぎたんだと。
「もっといい感じに力抜かなきゃつぶれるぞー」 親しい人はそう言ったがまったくその感じがわからなかった。 でも、一日でわかってしまった。
人は,何か大変なものの渦中にいるとどう抜け出せばいいのかわからない。 だけれどその渦中からすこし離れてみると、ふ、と突然抜け出せる。 抜け出せてみると、渦中にいたあのときにあたしは、どうすればよかったのかが わかる。
「一度離れて見てごらん」
うわべだけの打開策にすぎないじゃないか、 そう思っていたけれど実際、こんなに簡単なことが 答えだったんだ。
今あのころから抜け出して、一番思う事。 あのころの自分にはもう二度と戻りたくない。 何もかもを目標に向かって必至に頑張っていたけれど 自分を壊してしまうことを犠牲にしてまで達成すべき事なんて絶対にない。
ということ。
なぜなら、あんなふうにして空家の壁になってしまったら 本来やるべきこと、目標なども無気力フィルターを通して ただ必死に機械化してバカみたいに毎日 生きている事しかできないからだ。
そんな状態で目標達成の為に・・・とやっきになったところで 本来の目標なんて、きっともう意味を失ってしまっているだろう。
・・・抽象的でゴメンナサイ、みなさん、私、日本語、大丈夫でしょうか。 文章力がなくてもどかしいです、すみません。
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そんなわけで 今は、肩の力をいい意味で抜いて、ということが とてもよくわかります。 それは妥協や逃げ、ではないことがやっとわかりました。
今は全く『人間』として多分、ちゃんと機能していると思います。 素直に涙したり 感情が沸いていたり
今までは無意味だ、必要ない、と否定していた ・・例えば「なんだかしあわせ」「んー、風がキモチイイ」 「このひとのこと、すき」「たのしいなぁ」
そんな感情があたりまえに沸いてきます。・・・ホントあたりまえのことだけどね。
とても嬉しいんです。
そしてとても幸せなんです。 正直、めちゃくちゃ嬉しくてたまりません。
テレビを見て笑ったり、本を読んで、なんかいいなぁと思ったり、 「なんか・・・しあわせ」な、感情をとても愛しく思います。
ただね、これだけで満たされてしまわないように 今までほど極端ではなく、でも正しく確実に前に進んでいこうと思います。
ひとかわむけてみましたけれども、 たぶんまだ渦のなかに佇んでいる状態だとは思うので
まぁ、ぼちぼちやってみます。
今日はわかりづらい日記でごめんね。
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