中学一年生の時に初め出会って、あまりの衝撃に しばらくずっと彼の作品たちを毎日毎日学校から帰ると 部屋に閉じこもって見ていた。
今思えばなかなかに暗く、ヒキコモリのヒッキーだなぁと思う。
最近、伊豆高原の20世紀池田美術館(だっけかな)という所で 彼の展覧会があったので行ってきた。
じゃーん、サルバドール・ダリ。 の、展覧会。
彫刻やオブジェや、絵画。 やっぱり彼はロックだなぁと。
彼は『超現実主義』=シュルレアリスムなヒトであり、 つまり現実を超えた、という意味であり。(簡単に言いすぎ)
ダリを知らない方に簡単に説明すると 現実ではありえない世界を、表現する人。 たとえば・・・キリンのオナカから引き出しが出ていたり、 女性の額から蟻が沸いていたり、
とにかく度肝を抜かれる作品ばかりだ。
とてもワクワク心が動いた時間だった。
どうして私はダリにこんなに惹かれてしまうんだろうなぁ。 ワカモノにありがちな、現実にない突拍子もないものに惹かれる、 という時期はもう通りすぎた気がする。
中学の時のあの感動はこの「ありがち」な感情に近かったと思う。
今は。
今は、あたしを取り巻く現実世界には存在し得ないような世界を 体に常に持ち、それを表現する事を 真剣に生きる糧としていた彼の、存在そのものを 見たかった気がする。 見て,見て,たくさん見て、彼を知ろうとする。
あたしの現実世界にはありえないものを書く人。 それを恐れず表現してしまう人。 絵を見て想像する。 彼はどんな魂をもってこれを書いたのかと。 想像しまくる。
・・・わかるわけがない。 あまりにもありえなすぎる世界だからだ。
だけれどそんな人間が存在した。
その不思議と、その不思議な力を持ち得ない自分を抱いて ただ漠然と自分のちっぽけさを感じていた気がする。
ダリみたいに天才になりたかったんじゃない。 恐れず、自分の世界観を表現出来る彼がうらやましかったわけでもない。 ただ現実を見つめて、 四次元世界になどいく気もない自分が悲しかったわけでもない。
うまく表現できないけれど、ただ、あたしはダリの世界に魅せられていた。
こんな彼の存在を受け入れつつ、認めつつ、 あたしは彼とは全くチガウ世界で、自分の命をすすめてる。
全くまとまってなくてごめんなさい。 何が言いたいのか自分でも良くわからないけれど
このありえない世界を描くダリ、という人をダイスキである 理由が自分の中でうまくまとまっていない、というのが 正直な所だ。
あたしは彼を受け入れている。 だけれど、確実に正しい現実世界でいきるアタシに、 彼を受け入れられる理由など、 今うまく表すことなどできない。
この複雑で勝手な思い、 理解していただけマスカ・・・。
そんな3月の、ある休日でした。
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