明日は息子のマーチングバンドの県大会である。 連絡網で、もう一度制服の名前を確認するよう指示がある。 制服は、最初に7000円払うだけで、後はサイズに合わせて1年ごとに変えていく。 部員の中で順繰り使っていくということだ。 よって息子の制服にも今までの先輩の名前が書かれていて、その制服をどの先輩が着ていたのか一目瞭然なのである。 運動会のハチマキにも名前をカタカナで縫いつけていたし、今度もそれをやろうと縫った。
私ははっきりいって裁縫は得意ではない。 1cm縫う間に13回も手に針を刺してしまうほど、へたくそなのだ。 だけどへたくそはへたくそなりに頑張ってきたつもりだ。
体操着の名前の縫いつけも、水着の名前の縫いつけも、やらなければならないことの最低限は頑張ってきたつもりだ。
夫は私が縫った名前を見て、
「ほんとへったくそだよなあ。」
と言った。
「へたくそでも頑張っててかわいいなって思わない?」
と言ったら、
「全然!10年以上も主婦やって何にも努力してこなかったんだなあ、と思って。」
と言った。
ここで本当はどうするべきだと思う?
本当のこと言われたんだから笑っていればいいじゃん、と言う。
でも、私は泣き出してしまった。
「言われて嫌だったら努力しろよ。」
そんな風にしか考えていないんだ。 そういうことを言う夫が嫌でたまらなかった。
私はまたこれで離婚を考えた。
アイロンがけが苦手でも、唯一、学校の給食当番のかっぽう着はアイロンがけをしてきた。 やらなければならないことは頑張ってきたつもりだ。
結婚した途端、主婦になって、主婦は主婦業ができて当たり前的な考え方、できないのは努力が足りない、というのはどうなのだ?
主婦は主婦なりにスペシャリストになるよう、苦手なことも得意になるよう死にものぐるいで努力しなければならないのか?
極端な言い方だろうが、そう言われているような気分になった。不愉快だった。
ついこの前、家庭は安らぐ場所なんじゃないのか?
と夫に尋ねた。
その時、夫は沈黙していた。
沈黙していた、ということは、返す言葉がなかったということでもある。
私はそう解釈していた。
違った。
安らぐ場所じゃないんだ。 だったら続けられない。
好きで一緒になった。
でも、こうでなければならないとか、こうであるべき、とか、 努力が足りない、とか、10年以上経っても未だなお言われ続けるのであれば、 もう無理だ。
私は、私なりの方法で頑張っているんだ。
食費を頑張って節約するのも、家族で映画を見に行ったり、遊びに行ったりするため。 300円の生地を買ってミシンで枕カバーや掛け布団カバーを縫ったり、まあ、生地がかわいかったからっていうのもあるけど、気が向いたからっていうのもあるけど、私にとっては滅多にあることじゃあなくても頑張ったことなんだ。 網戸だって張り替えてやるから置いておけ、というのに全然やってくれないから、自分で張り替えたし。 組立式の家具だって自分で組み立てたり、冷蔵庫だって自分で運んだり、大きな本棚だって自分で動かしたり、私なりにやってきたんだ。 ディズニランドに行かせてあげたいから、旅行に連れてってあげたいから、私も行きたいからっていうのもあるけど、寝ないで仕事だって頑張ったりしてるさ。
私なりの方法ではダメだということなのか?
もうやめよう。
「ねえ、もっと自分に自信持てば?」
散々大声あげて怒鳴っておいて、急に静かな口調で言う。
とにかく私は一緒に寝たくないので、息子の部屋で寝てくれ、と頼む。
夫はリビングに寝たまま、朝には同じ布団に寝ていた。
一体、彼はどういうつもりなのだろう。
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