2003年07月15日(火) |
おばあちゃんの告別式 |
昨日の夜9時半過ぎに福岡着の飛行機に乗り、夜中の0時発の、福岡からの夜行船に乗り、朝8時に島に着いた。
福岡空港から港まではタクシーに乗り、到着してチケットを買う。 船はすぐに乗ることができて、じゃあ中で待っていようか、と、大部屋に向かう。
船の中はホテルみたいなんだけど、大部屋は想像していたより小さくて、酒臭そうなおやじがあちこちでごろんと横たわっている。こんなところに母と二人、一緒に寝たくないよなあ。
一生に一度あるかないかかもしれないし、と、奮発して個室を借りることにした。 乗船券とは別に、個室料金として5000円ほど払う。
案内の背の高い紳士的なおじさんが、荷物まで持ってくれて運んでくれる。 お金を払うときに、何かあって帰るの? と聞かれ、おばあちゃんのお葬式で、と話すと、 じゃあこれ、おばあちゃんにね、と、のしが付いたタオルをくれた。
荷物を整理して大きくのびをする。 とりあえずお腹も空いたし、何か食べようか、とラウンジに向かう。
部屋に戻ってしばらくして、寝ようか、と、 ぐっすり朝まで眠った。
久しぶりにゆっくり眠れたね。
カーテンを開けると島が見える。 いくつかの島を通り過ぎ、おじいちゃんが住む島に着く。
船を下りてタクシーで。 着くと既にたくさんの人が来ていて、母の義姉さんと弟、おばあちゃんの姉妹、おじいちゃんの姉妹もいた。 入ってすぐの広間には葬儀屋さんが準備に忙しそうで、奧のキッチンでは、近所の人たちが忙しそうに炊事をしていた。
私のいとこもいた。 私より一つ上のはずが、すごく大人っぽくて、最初わからなかった。
などと言っていた。
奧のキッチンでは、近所の奥さまたちが、 「ホントに綺麗ねえ。なんだか華があるわ。取り替えたいわ。」 などと言ってくれた。
私は、小さい頃からブスだと育ってきた。 「お母さんに似たらよかったのにねぇ。」 と母の知人たちに言われ続けきた。 要するに、お母さんに似たら綺麗に生まれてきたのにかわいそうに、という意味だ。
そう言われるたびに、ただ微笑み返していた(認めていた)母が、 「毎日トイレ掃除すると『綺麗な子』が産まれるのよ。私は毎日綺麗にしてたから、だからこんな綺麗な子が産まれたの。」 などと言っていた。
たとえ母に似ていない私でも、子が褒められるのは嬉しいらしい。だけど自分のトイレ掃除の賜物というところは何とも母らしいというか。そのへん、ちょっと、なんとかしてほしい。
おばあちゃんは、とっても綺麗な顔をしていた。 おばあちゃんの顔に髪の毛がついているのが気になって葬儀屋さんに開けてもらって取った。 やっぱりおばあちゃんも冷たくなっていた。
弟のことを思い出した。 冷たかった足を触った瞬間涙が溢れてきたことを。 弟の死と重なって涙が溢れてきた。 なんで死んじゃうんだろう。
おばあちゃんは孫に会える?
母の妹、母の妹の子どもたちも来て、お葬式が始まる。
焼き場に車で移動する。
おばあちゃんが途中まで火の中に入ったところで、母の一番下の弟家族が到着する。 長男が「ちょっと待って。」と頼むが、
こんなことは初めてだ、と憤慨され、 要するに、途中まで火に入れたものをまた引き出すということはあってはならないことだ、と言われ、泣く泣く、一番下の弟は実母の顔を見ることもできずにさよならせざるおえなくなった。
分厚い扉が閉ざされ、奧からゴーっという音が聞こえてくる。
私はトビラの前で泣き出してしまった。
おばあちゃんはもう死んでもいい年齢で、いつ死んでもいいくらい具合が悪くて、おばあちゃん孝行もしたし、悔いはないし、ここに来るまでは泣くなんて思っていなかった。
違うんだ。 弟のことがよみがえった。
小さい頃、いつも二人で、私がお姉ちゃんなんだからなんとかしなきゃって頑張ってきて、それでバラバラになって、お互いがお互いの家族の中で生きてきて、家庭も持って、話はしなくても、ただ生きているだけで、よかった。 お互い年を取って、小さい頃の思い出を話せる相手がいる、それでよかった。 生きているというだけで心強かった。 母は再婚していて帰る場所がない私が、母が死んでもう本当に何もなくなったとしても、弟が存在しているというだけで心強かったんだ。 その弟が亡くなった。 まだ何も話していないのに、話したいこといっぱいあったのに、何も聞かないまま亡くなってしまった。 亡くなったら無だ。
弟のお葬式の時は、ただ大粒の涙だけがポロポロと流れて、声に出して泣くことはなかった。 声に出して泣くことができなかった。私が頑張らなきゃいけないんだって、母のことも、弟の奥さんのことも、私がって思ってて、頑張って立ってたんだ。母が後で号泣して寄りかかってきたときも、私はしっかり踏ん張って立っていたんだ。
もういいよね。 もう泣いてもいいよね。 もう我慢できないから。
私は声を出して泣いていた。 周りのこととか、恥ずかしいとか、頑張らなきゃ、とか。 そんなのもうどっかいっちゃって、泣きじゃくった。
母は、「この子は、おばあちゃんと一緒に寝てたのよ。」 私がずっとおばあちゃんと一緒にいたから、そんなにも悲しいんだろう、と親戚たちに話した。
言葉が出ないくらい思いっきり泣いて泣いて泣いて泣いて泣いて、 泣いて、泣いて、泣いて、泣いて、泣いて、泣いて、泣いて、
泣いて、泣いて、泣いて、泣いて、泣いて、泣いて、
しばらくして抜け殻になった。
抜け殻になったら今度は涙だけがつーっと、つーっと流れて、 母が側にいた。
何か声をかけていたけど、耳に入らなくて、ただ涙だけがつーっと、つーっと流れていた。
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