2003年07月14日(月) |
おばあちゃんが死んだ |
AM0時過ぎ、義母から電話があった。
「おばあちゃんが亡くなったわよ。 すぐお母さんに電話してあげて。」
びっくりした。 その電話の前にも電話があったが、眠っていて起きられなかった。
母に電話すると、 13日、おばあちゃんは相変わらず元気で、おみそ汁も作って食べ、夜はそうめんでも食べるか、とそうめんを食べ、風呂にも入り、9時に就寝した。 おじいちゃんが9時半にトイレに起きて戻ってくると、おばあちゃんが布団からはみ出てうつぶせになっていたので、声をかけると息もしていなかったという。電話で病院の先生を呼び、タクシーで到着して死亡確認になったとか。
お通夜は15日で告別式が16日と聞いた。
急いで、15日朝に長崎に向かう飛行機をネットで予約購入し、17日に帰る便を予約購入した。
と言っていた。
私が帰ると聞き、おばあちゃんは起きてみそ汁も作るほど元気になったと聞いた。 私が帰る日に向けて、どんどん元気になっていくおばあちゃんの様子を母から聞いていた。
おばあちゃんは、私と会えるのを楽しみにしてくれていたのだ。 嬉しくて嬉しくてどんどん元気になっていたのだ。
私は、不思議な満足感があった。 おばあちゃんが生きているうちに会えてよかった。 おばあちゃんが生きているうちにお世話が出来てよかった。
おばあちゃんは、昔のことを謝っていた。 「ごめんねえ。ごめんねえ。」
小さい頃に一時期、おじいちゃんおばあちゃんに預けられていて、今でいえば虐待ともいえるほど、異常にきびしく育てられていたからだ。
帰る日の前日も一緒に「むすんでひらいて」を百回くらい一緒にやった。 仰向けで両手を上にあげ、私は疲れてしまっても、おばあちゃんはいっこうに止めず、母が「孫も疲れちょるけん、もう寝なさい。」と電気を切らなければ、いつまででもやっていたかもしれないほどだ。
考える。
当初、8日〜14日まで滞在する予定だった。 もし12日に帰ってくるのではなく、14日まで滞在したなら、おばあちゃんが亡くなるときに一緒にいられたんだろうか。
どちらにしても13日が亡くなる日と決まっていたのだろうか。 それとも。。
また、おじいちゃんは8月半ばに来ることを望んでいたが、 私がバーゲンフェアを利用したくて7月の8日〜12日にした。
もし8月半ばに行ったとしたら、おばあちゃんには会えず亡くなっていたのだろうか。
いつ死んでもおかしくないと言われていた人が、死ぬ前に体内の全エネルギー以上の力を使い果たして死ぬなんてことが、本当にありえるんだろうか。
ただ言えることは、私には悔いがないということ。
きっとそれは母も同じだったろう。
帰る前日は、母が身体を洗ってあげた。 おばあちゃんは恥ずかしがっていたというが、嬉しかったに違いない。
おばあちゃんは、私たちが行く前に、美容院に行ってパーマをかけ、髪を染めた。金歯も4本?入れたらしい。綺麗になって死んでいったんだ。
きっと、おばあちゃんは幸せだったんだ。
きっと。。
昼過ぎに母から電話があり、実は、今日がお通夜で明日が告別式だと言う。 明日の昼過ぎに着いたのでは告別式にさえ間に合わない。
田舎に電話すると、福岡まで新幹線で出てきて→福岡から夜中の0時に出る夜行船に乗れば朝には着くから、と言われる。
急いで明日の朝出発の飛行機をキャンセルし、今日の夜の便を予約する。
ついでに、早くに行くんだから、早くに帰って来い、と夫が言うので、 帰りの便もキャンセルし、一日早い便を予約する。
これでキャセル料が2人分で1万は超えた。 ま、仕方ないか。
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