思い、願い。。
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中学受験日記。 (上の子(娘)の受験は2004年2月まで)

中学受験日記から4年数ヶ月、その間、3人目出産、起業し・・・

2003年07月11日(金) 長崎の五島列島(4日目)

朝方寒気がして目が覚めた。

母がちょうどトイレに起きてきて廊下を歩いていた。

「お母さん、寒い。」

母は私のおでこを触ると慌てた。
「すごい熱だよ。」

朝4時だった。

おばあちゃんも起きあがって氷枕を作ってくれた。
心配そうに私を覗いて、二人で忙しく私のために動いてくれた。

起きあがることもできなかったおばあちゃんが、私が来るということでご飯を作るまで元気になったと言っていた。
起きあがることもできなかったおばあちゃんが、私のために氷枕を作ってくれている。

すまない気持ちでいっぱいだった。

私は一日のほとんど、ずっと横になっていた。

昨日、自転車で往復2時間→展望台登って→学校も一山超えて行くわけだし、疲れたのだろう、無理しすぎだ、とみんなから言われた。
自分でもそう思った。

母と私は、おばあちゃんといっぱい話した。

母の上にはおじいちゃんの連れ子がいて、おばあちゃんは小さい頃から母をいじめていた。
連れ子をかわいがり、我が子をいじめる、そうやっておじいちゃんに好かれようとしていたのかもしれない。
母はおばあちゃんに、子どもの頃のことを話した。
おばあちゃんは「すまなかったね。」と何度も謝った。
母は、自分が虐待されて育ち、同じように私を虐待して育てた。
母は、60年生きていて、やっと癒されたのだ。
おばあちゃんの「すまなかったね。」は、魔法の言葉だ。
言ってくれてありがとう、とおばあちゃんに感謝した。

いっぱい昔のことを話した。


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っていじめられた。
おばあちゃんはバナナをみんなにあげて、仲良くしちゃってね、と言った。
おばあちゃんがいなくなると、みんなはサーっといなくなった。
そんな話をした。

「あん子は性格悪かったもんね。」
などとおばあちゃんも言っていた。

いじめられた当時の話を面白おかしく話ながら、たくましく生きている自分も不思議だった。
おばあちゃんもいっぱい笑っていた。

おばあちゃは、私にも「ごめんね。」「ありがとね。」と言っていた。


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