今朝6時過ぎに電話が鳴った。
夫はここのところ現場が遠いので、5時には家にいない。 嫌な予感がした。
母からだった。
ひょっとしておばあちゃんが亡くなったのだろうか。
「落ちついて聞けよ。」
「○○が亡くなったんだよ。」
弟の名前だった。
「はあ?」
心臓がバクバクした。 口から泡が出そうな気がした。 息が苦しくなった。
交通事故で、乗用車に乗ってて、横から来たトラックがぶつかってきて引きづられ、ほとんど即死状態だったって。今まだ病院にいて、連絡待ちだって。
何がなんだかわからなかった。
夫に電話をした。 夫も何がなんだかわけがわからないようだった。
父からもメールが来ていた。 弟が交通事故で亡くなったとの内容だった。
昼にまた母から電話がかかってきて、弟は自宅に戻っている、と。 顔を見にいくから一緒に行けないか、と言われた。
義母に電話し、子どもたちを預かってもらうように頼んだ。 子どもたちが学校から帰って来ると、実家に行かせ、 在宅の仕事の引き継ぎを終え、向かった。
1時間半、駅に着くと、母が駅前の店でお寿司やらを買っていた。 私は弟の子ども用にとデザートを買った。
小学校の頃は小さかった弟だが、中学か高校生の時に会った時は、 既に私を追い越して、細くてひょろ〜と背が高くなっていた。 それから更にすくすくと成長し、180cmくらいになっていた。
弟のお嫁さんのお母さんが駅まで来てくれて、 今、弟の好きだった花を注文したところだから、と言う。 黄色が好きだったから、と黄色とオレンジ、白を組み合わせた花束を受け取って行く。
駅から15分くらい歩いたところの住宅街で、 2Fに上がる。
リビングに大きな弟の身体が横たわっているらしい。
母もすぐは弟の顔を見ようとはしない。 世間話のようなまるで、弟の死で来たんじゃないような、 そんな始まりだった。
母は、弟の顔を見ても、涙も流さなかった。 母は、弟の足を見ても、泣かなかった。
母は、ただ、お墓のこととか、保険のこととか、今話さなくていいことばかり口ばしってた。
弟はきれいな顔だった。 凛々しかった。 右の頬は車のガラス片が刺さって赤い傷がいくつもあったが、 左の頬をこちらに向けて眠っている弟の眉は凛々しく、きれいな顔立ちだった。 本当に眠っているみたいだった。
足もきれいだった。 弟は足の甲の横に大きなホクロがある。 それを見なきゃ、と思って、弟の足に触った。 冷たかった。すごく冷たくて涙が流れた。
「冷たい、冷たい。」
それしか言えなかった。
お嫁さんが現場に花を添えにいくというので、 お嫁さんと、お嫁さんのお父さんにくっついて一緒に行った。 三台の自転車で縦に並んで行った。
現場の交差点の民家の塀には、思いっきりぶつかって引きずられている跡があった。 路面にもトラックがひきずっているような跡があった。 隣の民家の柵の向こう側までいっぱいのガラス片が散らばっていた。 次の交差点のところ近くのガードレールの下に乗用車という文字が書かれ、 弟の車の位置らしいものが書かれていた。
事故を見かけた方は警察まで連絡ください という立て看板のところの下に、 お嫁さんと一緒に花をくくりつけた。 取れないようにと何重と結びつけた。
家に戻り、暗くなってきたので、母に一緒に帰ろうと言った。
母はおかしかった。 弟の子どもに、たった4歳の子に、 「かわいそうになあ。」 と言い、頭をなでた。
お嫁さんに、 「疲れてたのかねー。休みの日は休ませてあげないとねー。優しい子だから家族サービスしたんだねー。」 と言っていた。
そんなことを言っている母が嫌でたまらなく、 保険の話も、お墓の話も、 「今、話すことじゃない。」 と言い続けた。
こんな時に、膝が痛いという母も嫌だった。 膝は痛い、でも、生きているじゃないか。 膝が痛い、でも、今のこの時間は今一度きり。
私はお嫁さんの前から母を連れ去りたくて、 もう帰ろう、と言った。
このまま電車に乗って途中で別れてもよかった。 でも「ご飯食べていこうか。」と、中華料理屋へ寄った。
誰も客がいない。 うさんくさい店である。
案の定、出てきたラーメンは、この世のものとは思えないくらいマズかった。 ミニチャーハンもマズかった。
母は「悲しいはずなのに涙が出ないんだ。全然出ないんだ。」 としきりに言っていた。
あまりのマズさに残し、母がトイレに行っている間に会計を済ませ、 電車に乗り、途中の駅で別れ、家に帰ってきた。
帰ると父からメールが届いていた。 行った事に対してのお礼のメールだった。
その夜は徹夜で仕事、翌朝までに納品、スタッフのお陰で何とか間に合わせることができた。
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