2002年12月07日(土) |
言葉を飲み込んでしまう |
昔はひどく、何年も飲み込んでいた。 数年前にカウンセリングを受けたのを機に、 何年も前のことをあの時はこうだったこの時はこうだったって言うようになった。
飲み込んでいるのは私だけではなく、 夫もまた、言っても仕方がないから、と、言わないでいた。
お互いがお互いを好きで、お互いがお互いを思いやろうとしているのに、 上手く伝わらなくて、伝わらない自分にイライラし、理解しない相手にイライラした。
言葉で言わなければ伝わらないのに、
最初の正月の時、夫の実家で朝から何も食べられず手伝いに追われ、夜中に自宅に帰ってきてから 「実は今日まだ何も食べてない。」 と言って泣き出してしまったこともあった。 「何でそれを言わないんだよ」 と言われても、義母から手伝いを頼まれ、夫は応接間で親戚達と酒飲んで食べて話している。私からすれば、どうして気付いてくれないんだろう。。と、とずっと思っていた。
実家にいる時の夫は、もともと住んでた家だし気兼ねするはずもない。 勝手に冷蔵庫を開け、勝手に何か出して食べ、ビールも飲む。
「自分が同じ立場なら、気付いて声をかけてあげるのに、どうしてこの人はわからないんだろう」 という自分の基準。未だに「気付いてやれなくてごめんな。」という言葉はもらったことがない。
義母も夫も、私が、こうだったああだった、あの時は悲しかった、と言うと、黙ってしまう。 でも夫も義母も少しずつ変わってきた。 義母は私にも 「味見してごらんなさい。」 「ここで食べちゃいなさい。」 「おかわりは?」 と、正月も問題なく過ごしている。 私も、「お義母さん、お腹空いちゃったんですけど、何か食べてもいいですか?」 と聞くようになった。 夫も、 「お前も飲め。」とビールをついでくれたり、 「ほら、美味いぞ。食え。」 と声をかけてくれる。
今の私は、出来る限り、「こうしてほしい」と言うようにしている。 でも夫にしてみれば「してやった」という気しかないのか、と感じる言葉を吐いたりもする。
そんないい方をされるともう何も言いたくなくなってしまう。
なぜなんだろう。 優しかったりいじわるだったり。
わざと悲しませているとしか思えない時もある。
具合が悪いと優しかったりもする。 人間ってそんなもの?
混乱する。
混乱、混乱、混乱。
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