2002年10月10日(木) |
家庭教師をやめることになった |
娘、家庭教師。
今日はなぜか、娘も息子も一緒に家庭教師の先生を駅まで送りに行った。 その途中、先生がお父さんの仕事の都合もあって、急に引越が決まったとかで、 来月いっぱいまでしかできない事を告げられた。
正直、嬉しかった。 家庭教師代が家計を圧迫していて、いつやめようか悩んでいたんだ。
でも、先生が頑張ってくれているのに、なんだか言い出せないでいた。 夫は、 「そんなの気にする必要はないよ。」 と言っていたが、 私は、そのう、なんていうか、情が移ってしまうというか、 お慕い申しあげてしまうというか、 もうこの先生には会えないのかな〜、とか、 あちらの手違いとはいえ、責任者の人がいろいろ配慮してくれたしな〜、とか、 思うとついつい言えないでいたのである。
3月に娘の成績は最悪な状況だった。 それまでもいいわけはなかったけど、 今まで算数だけは得意だった彼女に評価4という数字が続き、 他の教科が評価3だったりすると最悪な事態だった。 3と4しかない評価、これで受験3組にいられるわけがない、 と思っていた。
クラス担当にも話した。 なんでうちは受験1に下がらないんでしょう。 本人は全然勉強しないし、言えば反抗するだけでどうにもならない。 ほとほと私は疲れ果てていた。
親が教えても反発するだけ。 とにかく彼女をやる気にさせなきゃならない。 そこで頼みの綱が家庭教師だった。
なんだかんだ言いながら、娘は家庭教師の先生が好きだった。 先生が教えてくれる2時間だけは頑張って机に向かった。 本人のやる気も多少なりとも出てきたようだ。 先生と出会ったことが、刺激にはなったのは事実だ。
先生は引継のことを心配していたが、 これを機にしばらく家庭教師なしでやりたいので、と伝えた。
私の心の中は躍ってた。 12月から月4万弱浮くんだ。 これで少しは自分のためにお金が使える。
今日、某掲示板を見ていたら、私立に入れるには、 年収最低でも800万はないとキツイらしく、 理想は1,000万だと書いてあった。 それでいて、みんな計画立てて貯金したりしているようだった。
うちは、結婚した時から子供は私立中学に行かせるつもりで、 結婚前に私が貯めていた貯金120万ほどを養老保険にしていて、 それが中学入学の時には300万以上になる予定だった。 当時はすごく利率がよかったのだ。 だって、当時預けた郵便局の定額貯金の30万が10年後に50万以上になったのだから。
でも、その計画は狂った。 階下から子供の足音がうるさいと苦情があり、 急遽引っ越すことになってしまい、 そのお金を解約して使ってしまったのだ。
さて、どうしようである。 上の子の高校入学時&下の子の中学入学時のお金は、 息子が生まれた時からの貯金と娘の学資保険がある。 娘の大学入学にも学資保険も降りる。
肝心な一番近い、娘の中学入学のお金が無いのである。 無謀だと思うだろう?
そっくりそのまま夫に話したら、 いつものように 「その前に行けるかどうかだろ。それくらいの金、引っ張ってきてやるよ。」
確かに、実家は自営だ。 会社の力を借りれば「それくらい」の金かもしれない。 この不況の中、中小企業が上向きなのは珍しく、 この会社があったからこそ住宅ローンも借りることができた。 貸してくれる銀行がどこもなく、それでも会社の取引先の銀行だけは、 本店で貸せない部分は支店で。。とやりくりしてくれた。
当時、私が仕事で借りてる部屋と合わせ、月に18万以上を家賃として払っていた。 毎月家賃に18万なんて払ってたら貯金なんかできるわけもなく、 家賃払うために働いているようなものだ。 5年生になったら塾代がUPする。 とてもじゃないけど今の生活費ではやっていけない。 そう思い、4LDKのところに引っ越さなければならなくなっていた。 根気よく探してくれた不動産屋さんが、今のところを紹介してくれたのだ。 頭金も諸経費も何もないが、毎月18万の家賃を何年も滞納することなく払ってきたという事実。 家賃の支払証明や、貯金もない代わりに借金もないとか。 実家の会社まで巻き込んで、会社の決算書やら何やらの分厚い書類を、 お義母さんにコピーしてもらったりもした。
俺が働いているからこの会社は成り立っている。 それは当然のことでもあろうが、 税務署に入られても何も問題がなかったというくらいお義母さんがしっかり帳簿をつけたり、 お義父さんが築き上げてきた信頼の上に成り立つはず。
借りようと思えば借りられるだろう額なんだろうけど、 それ、ちょっと違う気がする。
まさか。。ね。。(^_^;)
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