思い、願い。。
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中学受験日記。 (上の子(娘)の受験は2004年2月まで)

中学受験日記から4年数ヶ月、その間、3人目出産、起業し・・・

2002年08月28日(水) 私は「どもり」だった

娘、塾、テスト。
子供達、歯医者。

昨日漢字の読みだけやった甲斐あって、その4問だけは正解して帰ってくる。
結局、今回はそれしかやってないんだから仕方ないよな。

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私は、小学低学年まで「どもり」だった。
内向的で存在感のない子だったと思う。

話すのが下手だったからだろうか、
その頃の先生と長い間文通していたり、
実習の先生とは文通の末、後々新幹線に乗って家まで泊まりにきてくれ、
一緒に母が働く「クラブ」に行ったりした。

当時住んでいた大田区のマンションのペンキを塗り替えている時、
ペンキ屋のおじさんに声かけて仲良くなり、
一緒に塗ったこともある。
「上手い上手い!」
と褒められていっぱいいっぱい塗った。
もしかしたら後で塗り直してたもしれないんだけどね。

親はいつもいなかったし、親戚の人からもいつも、
「お母さんに反抗するなよ。」
と言われ続けていた。

母親が私を「布団叩き」で叩くから、それに抵抗するだけなのに、
力では敵わないので口で戦うしかなかったのさ。
昔は虐待なんて言葉なかったからな。

内向的な割に自分がやりたいことはやる子だった。
いじめられたらいじめ返す、すっごい性格キツかった。
大人びた子供らしくない、
子供のクセに影があって何考えてるかわからない、
>小学生時代

だから?
今、思いっきりお子ちゃまだ。


●「どもり」について。

私の「どもり」の原因は、両親の喧嘩にあると言われていた。
それは後に私の母が言ったことなんだけど、本当のところはわからない。
理由は、両親が小2で離婚し、
小3で母方の田舎である長崎の五島列島に預けられたのを境に、
どもらなくなったからである。
なぜか、歌を歌う時はどもらなかったし、最初の言葉がどもるだけで、
言葉が出てしまえば次の息継ぎまでなんとかなった。
結果的に、両親の喧嘩、父親の母親に対する暴力を見なくなってから、
どもらなくなったのだから。

10代半ばだったろうか。
当時大好きだった劇団の電話番をしている時、
受話器の向こうでどもって上手くしゃべれない子がいた。
その横で、「もう!早くしゃべんなよ。」と怒ってる友だちの声が聞こえた。
結局、その子はイライラして電話を替わってしまったんだけど。
私もそうだったな、と思い出した瞬間だった。
あせればあせるほどどもっちゃうんだよ。
だから深呼吸、「どもらない」「どもらない」と暗示にかける。
口元で声に出さないように練習しながら第一声を出す。
出したらそのまま話し続ける。
私はずっとそうやってきたんだ。

中学では演劇クラブの主役をやったり、学校代表で作文を読んだり、
「どもり」だったとは思えないくらい変わってやった。
今でも緊張するとどもってしまう。
酒を飲んで酔いが回ってくると、どもりやすくなる。
でも、深呼吸、深呼吸。
もう「どもらない」。

小学校低学年の成績表。
「話すこと」
の欄が「×」になっていた。
この証拠こそが、私を変えたのかもしれない。
もう「どもらない」私。


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