2002年08月28日(水) |
私は「どもり」だった |
娘、塾、テスト。 子供達、歯医者。
昨日漢字の読みだけやった甲斐あって、その4問だけは正解して帰ってくる。 結局、今回はそれしかやってないんだから仕方ないよな。
----------------------------- 私は、小学低学年まで「どもり」だった。 内向的で存在感のない子だったと思う。
話すのが下手だったからだろうか、 その頃の先生と長い間文通していたり、 実習の先生とは文通の末、後々新幹線に乗って家まで泊まりにきてくれ、 一緒に母が働く「クラブ」に行ったりした。
当時住んでいた大田区のマンションのペンキを塗り替えている時、 ペンキ屋のおじさんに声かけて仲良くなり、 一緒に塗ったこともある。 「上手い上手い!」 と褒められていっぱいいっぱい塗った。 もしかしたら後で塗り直してたもしれないんだけどね。
親はいつもいなかったし、親戚の人からもいつも、 「お母さんに反抗するなよ。」 と言われ続けていた。
母親が私を「布団叩き」で叩くから、それに抵抗するだけなのに、 力では敵わないので口で戦うしかなかったのさ。 昔は虐待なんて言葉なかったからな。
内向的な割に自分がやりたいことはやる子だった。 いじめられたらいじめ返す、すっごい性格キツかった。 大人びた子供らしくない、 子供のクセに影があって何考えてるかわからない、 >小学生時代
だから? 今、思いっきりお子ちゃまだ。
●「どもり」について。
私の「どもり」の原因は、両親の喧嘩にあると言われていた。 それは後に私の母が言ったことなんだけど、本当のところはわからない。 理由は、両親が小2で離婚し、 小3で母方の田舎である長崎の五島列島に預けられたのを境に、 どもらなくなったからである。 なぜか、歌を歌う時はどもらなかったし、最初の言葉がどもるだけで、 言葉が出てしまえば次の息継ぎまでなんとかなった。 結果的に、両親の喧嘩、父親の母親に対する暴力を見なくなってから、 どもらなくなったのだから。
10代半ばだったろうか。 当時大好きだった劇団の電話番をしている時、 受話器の向こうでどもって上手くしゃべれない子がいた。 その横で、「もう!早くしゃべんなよ。」と怒ってる友だちの声が聞こえた。 結局、その子はイライラして電話を替わってしまったんだけど。 私もそうだったな、と思い出した瞬間だった。 あせればあせるほどどもっちゃうんだよ。 だから深呼吸、「どもらない」「どもらない」と暗示にかける。 口元で声に出さないように練習しながら第一声を出す。 出したらそのまま話し続ける。 私はずっとそうやってきたんだ。
中学では演劇クラブの主役をやったり、学校代表で作文を読んだり、 「どもり」だったとは思えないくらい変わってやった。 今でも緊張するとどもってしまう。 酒を飲んで酔いが回ってくると、どもりやすくなる。 でも、深呼吸、深呼吸。 もう「どもらない」。
小学校低学年の成績表。 「話すこと」 の欄が「×」になっていた。 この証拠こそが、私を変えたのかもしれない。 もう「どもらない」私。
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