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■ 恋愛の教祖
恋愛の教祖と呼ばれる人達が居る。 そして、その人達の歌は、切なくて、でも最後には前向きな強さがある。 私は、そう言う人たちの歌を聴くのはあまり好きではないけれど、 古内東子の歌は好きだ。 「愛されてなかったのかな、一度も、一瞬でも・・・」 そう、彼女のCDから流れてきたときの驚愕は忘れられない。 私が、「愛していた」人との離別に苦しんでいる頃だったから。 普段は思い出すことの無かった、ううん、思い出さないように、 心にふたをして、気持ちが逃げ出さないように鍵をかけておいた心が、 その瞬間に、総ての抑制から飛び出した瞬間。 私の心が泣いていたのは、「愛されていなかったかもしれない」という不安だ。 今回の恋愛でも、私は、自分の「存在価値」を彼の中に見いだしたとき、 それが「愛」ではなく、「肉欲」だと思った瞬間の痛みを忘れられない。 「愛されて居ないのかもしれない」不安は、人の心にいつも巣くっていて、 非常に哀しいときに、その存在に気づく程度のものだと思う。 けれど、誰かを愛しすぎたり、好きになりすぎたら、 人は、その不安をいつでも思いめぐらすことになる。 どんなに普段からもてていても、人並み以上に綺麗でも、 スタイルがよくっても、不安なものは、不安なのだ。 不安は、様々な猜疑心や、嫉妬心、幻想を抱かせる。 美しくない感情は、人の美しさを壊し、時に、醜くもしてしまう。 信じていられないのは、貴方自身のせいだけじゃない。 彼の努力や、彼の思いやりが足りないことだって、その理由になるのだから。 恋をすると何度目であっても、初心者になってしまうのは当然のことで、 愛しすぎたら、自分を壊してしまうことも、真実。
2001年03月08日(木)
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