恋のさじかげん
れのん



 愛情を示すこと

愛情を伝えることがへたくそなのが日本人の特徴で、
それは古くから「不言実行」的な姿勢が好まれてきたからかもしれないけれど、
あたしは、ちゃんと「好き」を言葉で示してくれる人が好き。
何を考えてるのか分からないけれど、躰だけは求めてくる。
そんな男とは、何度セックスしても、疑問が残るばかり。
どんなに確かな腕に抱かれていても、愛撫に心が籠もっていそうでも。
「この人にあたしは愛されているのか?」
「この人は、何の為にあたしに会うのか?」
「この人にとって、あたしって、一体なんなんだろう。」とか、、、。
あたしは「愛している」を言わない彼と、二年の間、不倫を続けた。
何の不平も言わなかったから、よけいにストレスが溜まって、
どうしようもないぐらい落ち込んだり、考えすぎたり、いらいらしたり。
不倫が不健康な訳をあたしは身をもって体験したと言えるかもしれない。
そうやって、自分をすり減らすようにして、たった一言を待ちわびながらの二年、
よく頑張ったと思う(謎・笑)
だけど、そうやって過ごした日々を後悔しないまでも、
少し、思い直すことが必要かなぁとも思っている。
彼に合わす日々は、喜びでも有ったけれど、少しも、あたしらしくなかったから。
好きな人の好みや、要望に応えることは、大切なことだと思って、
出来うる限りのことをしてきた。服装、下着、髪型、、、、。
でも、「愛される」ための努力って、必要だけど、
そういうモンじゃないようにも思えた。
あたしは、彼の「お気に入りの人形」じゃない。
彼が望む優しさを与えて、彼の望む女であることが、生き甲斐のような日々、、。
それは幸せと言えるかもしれないけれど、あたしにとってはそうじゃなかった。
今のあたしを愛して欲しかった。
あたしの考え方も、好みも、趣味も、、、、少しぐらい尊重して欲しかった。
ただ、それだけの事すら、思い通りにならない自分なんて、
有ってないようなもの。
人を愛することは尊い。けれど、それはとても儚いもの。
壊れやすい気持ちを抱えながら、人は生きている。
だからこそ、一人でいることは、寂しさの極地なのだと思う。


2001年02月21日(水)
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