French Wolf の日記
DiaryINDEX|past|will
2003年07月08日(火) |
上海太郎舞踏公司『朝ごはん』 |
火曜日。
プールの定休日も乗り越え、今日から本格的な一週間が始動。新たな仕事の打診もあり、忙しく過ごした。
午前中ちょっとうたた寝をしている間に Amazon に注文しておいた CD と本が届いたらしく、あいにくの不在連絡票。早速営業所に連絡し正午くらいまでに再配達してもらうよう手配。この CD には、以前オフィスで何気なく有線放送を聞いていたときに流れていた『ベートーヴェン交響曲第 5 番』をアカペラで、しかも歌詞をつけて歌っているものを衝動的にリサーチし申し込んだものである。参考までに、上海太郎舞踏公司による『朝ごはん』というタイトルである。かくのごとく有名な『運命』をここまで美しく、しかもユーモアをもって再現する彼らのセンスは心の琴線に触れるどころか、ある意味逆鱗に触れるものでもある (意味不明だが、とにかく筆舌に尽くしがたいということは間違いない)。
午後はプールに出かけ、1500m を軽く流した。(こういう書き方って意外にかっこいいかもしれない、と自己陶酔。)
『伊東家の食卓』から、学者と発明者についての愚考。 個人的に「学者と発明者」のどちらが「偉い」か? と尋ねられたら、間違いなく「発明家」と答えるだろう。
これは毎週見ることの多い TBS 系テレビ番組『伊東家の食卓』で常々思っていたことである。番組には数々の「裏技」と呼ばれる一般市民が思いも寄らぬ着想から日常生活で「ある程度」誰もが応用・適用可能で便利と思われる技術を公開する番組である。まず発明者が技術を実証してみせる場面がからくりとともに明らかにされる。アイディアによっては学者が登場しないこともあるものの、学者が発明者による日常生活に密着した便利なワザについてアカデミックな観点から「説明・理論」を補足する形態となることも少なくない。学者の登場の有無については番組プロデューサーの意向も大きな影響力を及ぼしているとは思うが、いずれにしてもこの番組から学びとることができるのは、「サイエンスとひとくくりにできる学問分野」の出発点はあくまでも「現実」の理論的証明であるということである。
今の自分の職業にこれを当てはめると「文法学者と翻訳者」のどちらが「偉い」と 100% 情報のロスなく換言できる。したがって私的な見解の結論も言わずもがなである。
着想のすばらしさを後から理論に当てはめて説明するのは、その理論体系に精通している人であれば誰しも可能なことである。一方、アイディアを創出するというのは話が 180 度異なる。
なお、私が以上で書いた引用符には深い意味がこめられている。もっとも読者諸賢には明らかかもしれないため、老婆心といわれてしまうおそれもたぶんにあるが。
|