Niseko-Rossy Pi-Pikoe Review
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田柄第二小学校へ、出口調査で、共産党候補に投票し、比例代表は立憲民主党に投票し、支持政党は日本共産党だとアンケートにこたえる、
(小選挙区の記入所で立憲民主党の候補が目に入らず共闘一本化なのかと思って共産党候補の名前を書いてしまったー、背中の俊夫の仕業にちがいない)
まいっか、
平和台図書館へ行き、キートーク『パラダイス』とデュークエリントンを借りてくる、雨の中、靴もズボンも濡れてしまった、暖房にして、鈴木大介『12のエチュード』を聴きながら一服する、
芝公園の入り口およびレインボーブリッジの分岐には渋滞情報が出ています、そこを当然表示を確認して湾岸線へレインボーブリッジをカーブします、2分ちょっとで湾岸線へ合流するカーブ、そこになってカーナビが湾岸線渋滞の赤い表示を出していたもので、社長が先に「渋滞だな」と認識、翌日この運転手は渋滞状況をチェックして運転していないとの会社判断になってしまう、レインボーブリッジに入ってからは渋滞状況を確認する合理的な理由はありません、冤罪だよなーと思うけれども抗弁の機会もなく人事は動き始めてしまったものは止められない、こういう事態になる可能性はあるものなのね、ほぼ毎日羽田空港へは行く3年もあればね、
また八丁堀でサラリーマンランチライフに戻ります、「かく山」の刺身定食、カミングバーック!
冬は厳しく、クロノスカルテット、ちょいと寒いとくちをついてでる、
毎朝編集CDRを焼いてた、コニッツ特集とかリトルアビ特集とか、に、くだらない楽曲も混ぜるというか、松本隆が最高傑作という「天国のキッス」のバッキングヴォーカルは大瀧詠一だと今さら気付いたり、にしてはクレジットなりが判明しないので同僚のナイアガラーに確認依頼をしたり、
大瀧詠一は『ロングバケーション』を夢中に聴いた以外はさっぱりポンなのだが、大瀧詠一が自身の作曲家としての矜持を賭けた小林旭「熱き心に」は大瀧の中で用意した二曲が合体して出来上がったという経緯になるほどーと思った、
尾崎紀世彦は和田アキ子と同時期にホット路線で売り出されたのだが、名曲「また逢う日まで」1971は作詞家阿久悠が前年のズーニーブー「ひとりの悲しみ」1970の歌詞を変更して大ヒットに化けた、とは知らなかった、
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